え、店員の誕生日には親代りとなって祝ってやる。
給料はなるべく多くするが、小遣いは少なく、そして貯金を強制的にさせ、また一方食事をよくし、住居も清潔にして、身心を浄めて真面目な生活をさせるように導くことが、私の店員教育の骨子である。
商売の独立性とは何か
世の中の商売を見ると実に千種万様、数限りなく沢山あるが、さてその中から何商売を選んで将来自分は世に立って行こうかということになると、私に言わせれば、まずその商売自体が現在の時世に適合していて、儲かるというよりも、その商売を社会が要求していて永続性があるかどうかと言うことが商売選択標準にならねばならぬと思う。永続性があるかどうか、ということは言葉を換えて言えば、その商売に独立性があるかどうかと言う問題に帰着する。独立性とは説明するまでもなく他に依りかからず自分の独立でやって行けることである。そういうとあるいは反駁《はんばく》する人があるかも知れぬ「今日の商売で他に依存せずにやって行ける商売があるか、皆他人様の力によって行けるではないか」と、なるほどいちおうはもっともな理屈である。しかし、私に言わせれば、等しく他に依存するといっても自から区別があると思う。それはある特定の少数のものに依存するものと、広い世間一般に依存するものとである。そうして前者の場合であると、少数の支柱によって支えられているのであるから、そのうちの一本が欠けてもすなわちその商売の存亡に関係して来る。こういう傾向の商売を私は独立性が少ない商売だと言うのである。
これを植物に例えて言えば藤や蔦の如く、藤は如何にも立派な花を誇り天高くのびても、松とか欅とかに依りかからなくては花を咲かせることが出来ない。結局、藤は藤である。これに反し例え小さな松の木でも、それは立派に独立した樹木である。自分の力で地から栄養分を吸収し、天から恵みを享けて年一年とわずかずつにせよ大きくなって行く、そうして、子や孫の代にはいつのまにやら天をも摩する巨木に成長するのである。そこで我々は現在携わっている職業が、この松の行き方をしているか、あるいは藤の真似をしているかということについて、深く省察して見る必要があると思う。
必ず約東は守る
古い話ではあるが、各地に新聞の専売店のなかった頃は一軒の新聞屋で各種の新聞を扱っていたものだ。そこで新聞社は自社のお得
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