意を一軒でも余計に拡張して貰いたいために、競ってその販売店に礼を厚うしたのだ。おかげでボロい収入を得ていた新聞店は実に羽ぶりをきかせていたものである。ところがその販売店の尽力によってその地に各社それぞれ相当の地盤が出来た時分にA社もB社も専売店を作ってしまった。そこで今までの販売店は商売があがったりになった。すなわち永い間新聞社の踏台に使われていた訳である。こういうときにそうした将来のことに気もつかないで現状に安閑としていたら、まことに迂濶なことだと言わねばならぬ。また当時私どもと同じに菓子の小売店をやっていた人の中で、デパートに品物を納めていた連中は、割合にらくをし金まわりもよかったので、自分の店の小売の方など一向に身を入れず、得々として肩で風をきっていたものである。その頃私など粉だらけになって※[#「飮のへん+稻のつくり」、第4水準2−92−68]コをこねたりしてみじめなものであった。ところが、その連中の間に猛烈な競争が始まってメチャメチャに値段を崩しはじめた。おかげで利益を得たものはデパートばかりで、品物を納める側はサッパリ儲らない。そこで頭のよい人は従来と同じ材料を使って、全然見た目の新しい菓子を製造し、そして儲けたものだ。ところがまたそれにも競争者が現れるといった具合で年中セリ合って闘っている。その内に百貨店の方では製造方法などスッカリのみこんで、いつの間にか自営工場を作ってしまった。そうなると今まで品物を入れていた甲も乙も立ち行かなくなってしまった。これなども菓子の小売店としての将来性にめざめないで一時の利益に眩惑していたからだと思う。
 かつて私の店でもあるデパートへ菓子を入れていたことがあったが、ある事情で断然やめてしまった。それというのはデパートではお菓子の売れ残りは返品としてよこす習慣があるが、ちょうど私のところへもロシヤのチョコレートを入れて欲しいという交渉を受けた。私は商品の性質上返品は一切しないという条件ならば応じましょうと返事してやった。先方はそれは困るということであったが、それなら止めるばかりだとこちらが強硬に出たので、特別ということで返品なしの契約で取引を開始した。そうして毎月千数百円を売って貰った。ところがそれから半月ほど経って、二ヶ月ほども売れずにいた七円五十銭だかの折を返品してよこした(中村屋の菓子の容器には製造日付がある)。そ
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