が「研成学校」であり、青年時代に同志と共に創立したのが「研成義塾」であって、私と研成という名には離れられない因縁があるらしい。そこでこの研成学校と研成義塾のことについて、一つは反省のため、また一つには研成学院のよき成長を祈るために、参考として書いておこうと思うのである。
研成学校は明治五年の頃、長野県で最初に設けられた小学校であった。私の生れたのは信州安曇郡穂高村の白金という所で、この研成学校は、家から十二、三丁のところにあった。
私の家は穂高村でもずいぶん古く、家で祀った産土神が現在村の氏神になっているほどで、祖父安兵衛までは代々庄屋を勤め、苗字帯刀御免、相馬という姓から見ても、また家伝の接骨術などあるのを見ても、ただの百姓ではないことは判っていたが、土蔵の梁から一巻の記録があらわれたのは、後に私たちが東京へ出てからのことで、それを発見したのは当時十歳で国許《くにもと》にいた安雄のいたずらの手柄ともいうべく、彼が土蔵の天井裏に這い上って、妙な包み物が梁にくくりつけてあるのを見つけ、それを取り下ろして調べて見ると、それが相馬家の系図であって、相馬は遠く平将門を祖とすることが判り、別
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