に川中島の戦いにおける武田信玄の感状なども添うているところを見ると、私どもの祖先はその時代に武田の客将となって信州に入り、ついにそれが永住の地となったものであるらしい。
 私はそういう家に生れたが、二歳にして父を失い、七歳で母にも死に別れ、長兄夫婦に育てられた。長兄は私より十五歳上、嫂は十歳上であったから、まだ本当の若夫婦で、子供の養育に経験のある筈はない。ただ早く父母に別れた幼弟を憐れがって我が子のように鍾愛し、私が親のないことを不幸だと思ったことは一度もないくらい、それは大切にしてくれたものであった。
 私が十三歳になると、兄夫婦は私の教育を完全にしてやろうと考え、通学に不便なほどの道でもないのに、研成学校の寄宿舎に入れてくれた。費用もかかることであるのに、それを惜しまず兄がこの方法をとったことから見ても、当時の研成学校のいかに名高く、また地元の信頼を受けていたかが分るであろう。地元ばかりでなく、その名は信州全体に響いていたので、遠方から来て学ぶ者が少なくない。それゆえ校舎の二階に寄宿の設けが出来ていたのであった。
 兄はためを思うて入れてくれたのだが、寄宿舎生活は兄が考えていたよ
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