疑の眼を光らし、態度はますます露骨になり、日本に対し無礼の事柄が少なくなかったので、さすが事勿《ことなか》れ主義の石井外務大臣もついに勘忍袋の緒が切れたのであろう、俄然態度を硬化し、両志士を秘かに保護する決意を告げて、頭山翁に面会を求めて来た。それは大正五年四月十五日のこと、会見の場所は四谷見付の三河屋であった。今はもうなくなったが三河屋は当時東京一の牛肉屋で、座敷も相当立派であったし、まだ明治気分の残っている時代のこととて、スキ焼を囲んで毎度知名の士の会合の場所となったものである。
そこでボース氏の身柄もようやく安全となって、我々の手許を離れることになったが、この四ヶ月余の滞留で我々夫婦と彼とは親子のような情味を感ずるようになり、その後頭山先生の切望によって娘の俊子を彼に嫁がせた。したがってボースと中村屋との関係はいっそう密接となった次第である。
いま一人のグプタ氏は我が家に滞留中行方不明となり、メキシコに亡命したと言われている。
露国の盲詩人とルバシカ
喫茶部では、純印度料理のカリー・ライスのほかに、露西亜料理のボルシチュを出し、また店員の制服はルバシカで、商品に
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