る。

    朝鮮土産と不老長寿

 大正十一年、私は妻と共に朝鮮に旅行した。それまでにもちょいちょい小旅行を試みたことはあるが、両人共にこうしてやや遠くまで出かけられるようになったことは、新宿に移ってから十五年、店の成長とともに、我らと寝食を共にして来た店員の成長したことをも語るものであって、留守を預けて出るにつけてもこのことは思われ、ここにも新たに店主としての喜びがあった。
 朝鮮旅行の目的は、一般に視察と称するような堅いものではなかったが、さりとて単なる遊びの旅でもなく、まず朝鮮の家庭訪問というところであった。我々はかねて、新たに同胞となったこの半島の人々に対しては一段と親しくし、互いに心と心をよく通じ合うようにせねばならぬと考えていたので、在京学生の青年たちにも喜んで接し、折に触れては家庭に招待して食事を共にするなど少しばかりの世話ぶりをしたのが、青年たちの父兄に喜ばれ、ぜひ朝鮮を見に来てくれと彼方此方《あちこち》から招きを受けるようになり、とうとうこの訪間となったのであった。
 私はこの旅行によって初めて松の実というものを味わった。我々は京城に入っても内地人経営の旅館には入らず、朝鮮の宿に泊り、かの地の旧家であるところの家庭に彼方此方招かれて御馳走になった。朝鮮上流家庭の婦人はめったに屋外に出ることがなく、他人には顔も見せぬ慣しだが、料理には至って堪能で、どちらの家庭で御馳走になっても夫人令嬢の手料理で、じつに心地よくもてなされた。その料理の中に松の実があって、私はその味わいの上品な濃厚さに感心し、支那人がこれを不老長寿の霊薬とし、朝鮮でも比類なき最上の滋味とするいわれになるほどと肯いた。
 そこで私の朝鮮土産は松の実ときまり、古来仙薬の如くに尊ばれるからには必ず何か科学的根拠があろうと考えたので、帰京後鈴木梅太郎博士に研究を依頼し、農大鈴木研究室において右川鼎造学士担当、約一ヶ年に渉る動物試験の結果、松の実中にはヴィタミンBを多量に含み、副食物として、また嗜好品としてきわめて優良であり、特に米を主食物とする我が日本人には栄養価大にして精気を加えるものであることが証明された。
 そこで種々研究して、まずこれを瓶詰として売り出し、さらにこれを菓子に用いようとしてずいぶん苦心した。なにぶん松の実は日本菓子には調和しにくい性質なので、この研究には数年を費し、何
前へ 次へ
全118ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング