した。昔の一高の小使いなどというものは、出入り商人に対してこの通り威張ってコンミッションを取ったもので、今日から見ればまさに隔世の感がある。
コンミッションの問題はほかにもあった。中村屋も最初のうちは卸売りをした。本郷から麹町隼町、青山六丁目辺りまで、毎日小僧が卸しにまわる。そのうち大手町の印刷局へ新たに納入することになったので、その届け役を私が引き受けた。雨の日雪の朝、一日も欠かさず、本郷から神田を通って丸の内まで、前垂掛けで大きな箱車を曳いて、毎朝九時には印刷局の門をくぐった。
それが約一年ほどつづいたが、もうその頃かつての早稲田の学友の中には、官吏の肩書を聳《そび》やかしているものもあり、その他の知人間でも私のことはだいぶ問題になって『奴も物好きな奴さ』と嘲笑して終るのもあれば、『何だ貴様は小僧のようなことをして、我々卒業生の面汚しじゃないか』などと、途中出会って面詰するのもある。むろん私としては、別にきまりがわるいとも辛いとも思うことではなく、むしろ友人には解らぬ快味があったのである。
とにかくそうして私は印刷局通いをしたが、その最初の日のことであった。『オイオイ、出門の空車は必ず我々の検査を受ける規則になっている、無断の通行はならんよ』そう言って私を呼び止めた門番氏は、次には声をやわらげて愛想笑いさえ見せて『どうだね、中村屋は有名だから、職工らも今日から良いパンを食べられて喜ぶだろうな。ところで君の店には鷲印ミルクはあるかネ、明朝一ダースだけ頼む、家内がお産をして乳不足で困っているから、忘れずに』
私は門番氏の月給はいくらか知らなかったが、鷲印ミルクとはちょっと解し難いことであった。当時鷲印ミルクは舶来の最上品であって一個三十銭(今日の一円二十銭見当)の高価で、なかなか贅沢品と見られていたものである。
翌朝、私は試みに一缶だけ持参すると、彼はすこぶる不興気に声をあららげて『君、一ダースの註文だよ、たった一缶とは不都合じゃないか』私もそこで当意即妙に、『私は毎日来るのだから、新しいの新しいのと届ける方がよいでしょう。ところで代価ですが、私の方は現金主義ですから三十銭頂戴しましょう』
彼は代価は明日残り十一個分と引換えに渡す、という。私は前の代金を払われぬうちは残りを持参せぬというわけで、次の日から毎日この三十銭を請求した。彼が別の門に出ている日は
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