わざわざそこまで請求に出かけて行った。何でも一月あまり請求しつづけたと思う。これが他の門番はもちろんのこと、その他の間にも評判となって、さすがの彼も兜をぬいで渋々《しぶしぶ》三十銭を払い、『あとはもう要らないよ』と悲鳴をあげたことであった。それ以来他の門番衆も私にだけは決して註文しなかった。彼らは、新しく出入りする商人に対してはきまって何かしら註文し、代を支払った例がない。彼らはこれを役得としているのであった。つい弱気な商人たちはそれと知りつつも煩《うる》さいので求められるままに持参し、十人ほどの者から三、四円ずつの損害を蒙らぬものはなかったそうである。もちろん私はそういうことは後で聞いて知ったのだが、どこに行っても万事この通り、私は決して彼らの不正には屈しなかった。
 その私の曳いて行く箱車には、もと陸軍御用の文字が入っていた。それは先の中村萬一さんが陸軍に食パンを納めていたからで、御用という字が一種の誇りにもなったのであろう。私は譲り受けるとすぐこの御用の字を塗りつぶしてしまった。私は御用商人が嫌いであった。明治維新以来、政府と御用商人との切っても切れない因縁は、いまさらここに事新しくいうまでもない。今日天下の富豪となり授爵等の恩命に浴した人々も、その源に遡れば多くはこの御用商人として政府の御用を達し、同時に特別の恩寵に浴して今日の大を成したものが多いのである。私は御用商人必ずしも非難すべきものとは言わない。そこには奉公の精神をもって立派にその務めを果たしたものもあろう。しかしとにもかくにも御用商人と特別の恩寵とはつきものであって、御用商人がその恩寵に対して、一種の卑屈と追従に陥るのもまた免れ難いことであると思う。それゆえ私は大きくとも小さくとも御用商になることが嫌いだ。兵営の酒保に堅パンを納入したパン店が、時々当番の下士の小遣いを調達させられたことも耳にしたし、その他大会社に品物を納めるとては、なおいっそうの奉仕を強要されたことも聞いている。一高の小使いの上前取りもそれだし、印刷局の門番の鷲印ミルクもその例に洩れないのである。私はそれらのところへパンを納入しても、あるいは大量註文を受けても、御用商人的な考えは少しも持っていないのであったから、彼の無法な要求には断然従わなかった。またたとえそういうことで得意を失うとしても未練はないと考えていた。爾来《じらい》我が
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