るのである。ましてこれ以上に店を拡張したり支店を設けなどして、今日以上の客を集めることは考えてはならない。かつて自分は大百貨店の脅威に対して、小売店として同志に呼びかけ、対抗策を極力主張したものである。どこまでも一小売店としての分に止まり、同業小売店と繁栄のよろこびを共にしてこそ本懐である。
次に今日の繁昌は、ひとえにこれを社会一般の恩として感謝すべきであって、これをさらに明日においていっそうの期待を予想する不遜は許されるべきものではない。盈《み》つれば欠くるという。なおも店の拡張を計って天の冥護に離れ、人の同情を失えばどうなるか。思いをここに致せばなかなか現状の不自由等をかこつべきではないのである。
さらに経済の実際より見るも、店を改造するには少なくとも三十万円を必要とする。また販売部を拡張すれば製造場も同時に取り拡げざるを得ず、これがためにさらに二十万円くらいの資金を要し、合計五十万円にも及び、その金利と償却、新たに嵩《かさ》む照明費と税金、使用人の増加等を計算する時は、今日の売価をおよそ六、七分方引き上げねば収支償うことができないのである。それではお客様へ行きとどくようにと思うての改造が、かえって負担をおかけする結果となり、まずそこから中村屋の商売の合理化は崩壊し始める。売品が高価となるからはそれに伴うサーヴィスとして、百貨店などのように遠方まで無料で配達するなどのことも必要となり、経費はいたずらに嵩むばかりで、経営に無理があればそれは必ずお客様に映じ、わざわざお出向き下さるお客も次第に減ずるであろう。よく売れていた店が広く堂々と改造され、面目一新してしかもにわかにさびれる例は、世間にあまりに多いのである。
なおまたこれを店員全体の連絡の上からみても、好ましくない結果が想像されるのである。これまで中村屋では毎年二十名ないし三十名の新店員を迎えて来たが、これを十年二十年と続けて行ったならば、その多数の者の将来に対し、果たしてよく教育しまた遺憾なく指導することが出来るであろうか。現在だけの人数でさえ、その個々の人物性格を詳しく知ることは困難で、主人として欠くることの多いのを、その父兄に対し当人に対し申し訳なく思うているのに、さらに大勢となってはしらずしらず不行届き不親切となるのを免れまい。また多額の負債を負うて経営に無理が出来れば、その待遇を次第に改善してい
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