葉に無理はないのであった。私は親に対してよしないことを言ったものと後悔し、その後は金の話はいっさい耳に入れぬことにした。しかしその苦労はじつに一通りでなかったのである。幸い店の方は日に日に売上げを加えて行ったので、どうやらこの危機を脱することが出来たが、今思えばもしこの時田舎の父が、よしよしと言って金をまわしてくれたとしたら、おそらく気もゆるんで、かえって後に悔を残すことになっていたかも知れぬのである。(私は順養子となりしゆえ兄を敬して父と称す)
私はこうして借金に苦心惨憺であったが、店はお蔭で繁昌していたから他人にはそれが判らず、余程の利益であろうと想像して、助力や借金を申し込む者が相当あって困った。内実この有様であるからやむを得ず拒絶すると、それらの人々の中には不人情だとか守銭奴だとか悪声を放つ者もあった。
もう一つ忘れることの出来ないのは、友人某氏が手許に遊んでいる二千円を一割の利子で融通してくれた。私はその好意を感謝して期限も定めずに借りた。すると僅か二ヶ月ほどで、彼はその金を二割で貸し付けるところが出来たから即刻返してくれという。あまりに突然のことで、それは出来ないとはねつけると、
『俺は利子を普通二割取っている、それを君に半額に融通したのは、こちらで要る時にすぐ返してもらいたいと思ったからだ』
と言って、妻にまで返金を強要するので、私もせん方なく、八方金策して一千五百円を集めたが、残り五百円はどうしても出来なかったので、友人望月氏に一時の融通を乞うた。
しかしただちに私は望月氏に頼んだことを後悔した。望月氏は逼迫《ひっぱく》していた。にもかかわらず氏はこの申し出を快諾して、ただちにその五百円を調達してくれたのである。お蔭で急場を救われたものの私は氏の都合が気になって後で訊くと、
『いや、あの金は日歩十五銭(年利五割五分)の高利貸の金ですよ。あなたには毎度融通してもらっているから、たとえ日歩三十銭払っても日頃の好意に報いたいと思ったのですよ』
望月氏は新聞配達業で金融にはずいぶん苦労していて、私もその窮状を見かね、氏には中村屋創業当時の恩義もあるので、およそ三ヶ年にわたって毎月末相談に応じて来たのであったが、私はいまこれを聞いて望月氏の誠意に涙をおぼえるとともに、よくよくの場合とはいえ、それほどまでにして金策をさせたかとじつに気の毒に堪えなかった
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