事でなし。それはそれは沢山お求めあそばしましように今からその用意にちとおねだりあそばせとや。かかる事いはるるは常なれど、お静は子供心にも恥づかしく、またしてもお吉のそんな事いふものでなしと。ツンと澄まして横を向きたる折ふし、お秋の姿チラと向ふの縁側に見えたるに心付き、オオ伯母様の定めて御覧なさりたかろにと、お艶がお待ちといひたる声は耳にも入らず、足早に馳せゆきて、さも大事件の起こりたるかのやうに、伯母様伯母様アノー大丸が美しきもの、たくさん持つて参りました程に、あなたも御覧あそばしませぬかと我が見たきもの見せて喜ばせむとの子供心嬉しく、お秋は進まぬながら手を携へられて入来りしに、お艶はジロリとそなたを見たるのみ、お吉お鈴さへも無言なり。お秋は何となく気の咎められて、縁側に佇みをりしに、お静は何の気もつかず。伯母様そこでは見えませぬ、こちらへお這入りあそばせと引張るやうにして、お艶と我との間に坐らせ、伯母様これが私には宜しいでしやう、ホラこの間申しました松村さんのお嬢さんのは、ちやうどこんな風なのですよと。思はず手を伸べて、一ツ二ツお秋の方へ引寄せむとするにぞ、お艶はこらへかねて、人知れぬやうにお静の手をピチリとひねり、およしよ、子供が出しや張るものではないと、お秋にあててお静を叱り、更にまた詞をあらためてお秋に向ひ奥様も何か御入用にや、御入用の品あらば私まで仰せ置かれたし。奥様のはおじみな柄、お年寄のはたいてい極まつたものなれば、私が見計らつて、後から鈴に持たせて上げませうにと、いふは敬して遠ざくる算段と早くもその機を見て取りしお吉、俄に空々しき辞儀を施して奥様の何時の間に入らせられしやら、ツイ夢中になつて、拝見致してをりましたので飛んだ失礼を致しました。どれおぐしをお上げ申しませうか、お鈴さん憚りながらおくせ直しのお湯をとの詞をきつかけに、お鈴もまたその意《こころ》を得て、常には軽さうにもあらぬ尻振り立てて行く後姿にくらしく。よくもこれ程いひ合はしたやうに奥様をおもちやにせらるるものと。お秋よりは、大丸の手代眼を団《まる》うして見送りぬ。跡にはお艶が好みの品々に添へて、価貴きものの一二反は、丸三郎の贈りものとして購はれし事なるべし。(『女学雑誌』一八九六年一〇月二五日)

   その三

 有為転変の世の習ひ、昨日までは玉楼金殿の裏に住居し貴人さへ、今日は往来の人に道を狭められ車夫にさへ叱り飛ばされ、見るもいぢらしき姿となるがある世に、算盤珠の外れ易き、商業界に身を置きし金三の、流行紳士ともてはやされしも一時。淵は瀬となる世の中に、名詮自称の金三のみ、いかでかはその数に漏るべき。かねてしも財源と頼みてし会社の一朝祝融の怒りに触れて、十年の経営たちどころに灰燼に帰し、百千の株券とみに市場の声価を失ひたるより、いかでこれを恢復せばやと、再興の計画にをさをさ肝胆を砕く折も折。我が名義にて営みし私立銀行の、忙しきままこれまで人任せにしたるが、何事もなかりしに、役員の不始末より破産の不幸に逢ひ、無限責任の悲しさには、債務ことごとく金三の一身に集りぬ。されど金三は年頃の派出やかなる暮しに少なからぬ借財もありて、巨万の富を重ねしと見えしも、その実融通一つにて支へたる身なれば、今かく重なる不幸に逢ひては、資産の全部を、手離さではかなはぬ仕儀となりぬ。その噂早くも伝はりて、債権者の名々、我も我もと先を争ふて責め寄するにぞ、さすが商界の一老将も、力つき謀窮まりて、我が住居さへ保ちかぬる様子を、見て取りし妾のお艶、足もとの明るき内に、辞し去るが上分別と思へるにや。ある日金三の機嫌よき折を見て、今日この頃のお心遣ひ、私の眼にはありありと、そのお窶《やつ》れが見えまする。所詮女の身の力及びませねど、日頃の御恩報じは今日この時、もとの島へ戻り二度の花咲かせむも、それはかへつて旦那様のお顔汚し。それよりは私が下女代はりを致してなりとも、口を減らさせましたい心なれど、馴れぬ水仕事は、奥様もお遣ひあそばすにお骨も折れませう。まだしも慣れた事なれば、もとの土地へ帰りまして、お茶屋でも始めたならば、私の古い馴染もあり、旦那様の御贔負受けたお茶屋も少なからねば、引立ててもくれませう程に。さすれば旦那の、お助けとはならぬまでも、私とお静の二人口に、御心配かけぬだけの事は出来ませう。別に資本のいると申すでもなし座敷の飾り夜の具《もの》皿小鉢のいくらかを、分けて戴けばそれで済みまする。いかがなものといひ出でたるを、瘠《や》せても枯れても我《わし》は淵瀬、そなたの力を借るまでもないと、初めは笑ひて取合はざりしが、お艶が切に請ふて止まざるにぞ、さらばそなたの気の済むやうと、島の内に相応《ふさわ》しき貸家求めさせて望み通り引移らせぬ。お艶は得たりと我が衣類調度は更なり、その外何くれとなく借受けて持運び。始めは本宅へのおとづれ怠らず、金三をもしばしば呼び迎へて快く待遇《もてな》しそれこれの事指図を仰ぐにぞ、金三もかかる場合ながら、新たに別荘得たる心地して、掛物もこれ、敷物もこれと、追々に本宅のもの持来りて、多くはお艶の方に在るにぞ、お艶の新宅躰裁よく調ひたる頃は、淵瀬の倉庫はいつしか空しく、座敷までも明屋《あきや》めきぬ。お艶はここらが見切り時と思はぬにはあらねど、とみには冷やかなる気色も見せず。されど居心よきままに、いつまでも金三の入り浸らむには、様付の居候置きたるも同様にて、果てはかくまで謀りたる甲斐なからむと、追々には針を包みたる美《うるは》しき詞にて、お客商売に殿御は禁物、殊には世上にお顔広き旦那様の、ここに居たまふ事人に知れては出入るお客の、気を置かるるもあるべきに、なるだけ人に、お姿の見えぬやうにしたまへかし、この間も御存知の何某様二階にて大浮かれの最中、旦那様のお声聞こえてより、拇指《れこ》は内にかと俄の大しけこみ、それよりは花々しき騒ぎもなく、そうそうにお帰りなされしより、私も始めて気がつきました。商売大事と思ひ給はば、その御心したまひてよと。いふは正《まさ》しく我を遠ざくる算段と金三は未だ心付かねど、せつかく気保養にと思ふお艶の家に在りても、お艶は多く座敷へ出で、傍らには居らぬがちなるさへ、飽かぬ心地せらるるに、この上|一室《ひとま》に閉籠もりて、影さへ人に見せられじとは、てもさても窮屈なる事と、少しは面白からず思ひしにや、その後は足も自づと遠ざかるを。お艶は結句、よき事にして、強ひては迎へず来ればよき程に待遇《もてな》せど、以前に変はる不愛想は、逐に金三の眼にもつきて、己れ不埓の婦人《おんな》めとさすがの金三も怒らぬにはあらねど、流れの身には有りがちの事と、それより後はおとづれもせず。この時にこそ金三も、無明の夢の醒めけらし。
 この間に立ちて殊勝にも、いぢらしきはお静にて、これはお艶の養ひ子とはいへ、稚きより淵瀬の本宅に人となり、石女《うまずめ》のお艶の、可愛がるやうにて、怖らしきよりは、万事物和らかに、情け深き本妻お秋の何となく慕はしく、多くはそが傍らに在りしに、お秋もまた遣る方もなき心の憂さを、この無邪気なる少女に慰めむとてか。お静お静と呼寄せての、優しき慈愛身にしみて嬉しく。果ては読み書き、裁ち縫ひの道しるべさへ、お秋より教へられて、おぼろけながら女の道をも弁《わきま》へつ。我が母なるお艶の、お妾さまといはるる身なるが、情けなく恥づかしという事も分り。せめては金三を父様《ととさま》と呼ばるるが勿躰なけれど嬉しき事に思ひて、日を送りしに。ゆくゆくは金之介様のお嫁にとの、お艶の心搆へ聞き知りてよりは、身を重んずるといふやうなる心も出来て、お艶よりはお秋を見習ひ、蓮葉ならぬ育ちたのもしかりしに。お艶の方へ引取られてよりは、昨日までもお嬢様と呼ばれし身の。何事ぞ生酔の客に、手を引張らるる事もあり、なまめかしき芸娼妓より、姉さんと親しげに言葉掛けらるるが、身を切らるるより辛く。などて母様の、かかる営業《なりはひ》したまふらむと、それさへに悲しかりしに。日頃好まざりし三味線一時に浚《さら》へさせられて、明くる春よりは芸妓に出ねばならぬ身の、その撥の持ち方はと叱られてより。さてはさうかといつそう我が身の上悲しく、いかで父様の、かかる折にも来まさむには芸妓にならで済むやう、母様にもいふて戴かふものと。そぞろに金三の上忍ばれて、お艶に金三の事聞き合はす時あれど。お艶はいつも不興気にて、父様とは往年《むかし》の事、私をもお前をも、お捨てなされし淵瀬様の事、いつまでも父様といふものでなし。聞けばこの頃それからそれへと引越して、今はいづこに居らるるやら、分らぬといふ人の噂。いづれにこの後よき事はなかるべきに、父様と呼ぶは私はもとより、そなたの為にもならず。それよりはそなたも年頃、今に我が腕一ツにて、善き父様探しあて、可愛がつて貰ふがよいと。果ては笑ひに紛らすを、思ひかねて再び問へば、それ程淵瀬様の恋しくば、そなたの勝手に尋ね行くがよし、味噌漉さげて使ひに遣らるる姿、我は見るのが嫌なれば、その日限り、我とは縁切と思へかしと、それはそれはつれなき詞に。金三の上お秋の上さては東京に在る金之介の上まで、気遣ひは気遣ひながら、どこを尋ねてよきやら分らず。小さき胸にはおきあまる思ひに寐られぬ夜もあるを、情知らずのお艶は、夢にも知らで過ぎけむかし。

   その四

 ここは大坂の町外れ、上福島村の何番地といふに、近頃引越したる親子あり。あるじは去年脳充血にて世を去りしとの事にて、今は母子二人の淋しき住居。裕《ゆた》かならぬ、生活《くらし》向きは、障子の紙の破れにも見え透けど、母なる人の木綿着ながら品格よきと、年若き息子の、尋常ならず母に仕ふるさまは、いづれ由緒《よし》ある人の果てと。淵瀬の以前《むかし》知らぬ人も気の毒がり、水臭からぬ隣の細君《かみさま》、お秋が提ぐる手桶の、重さうなるを、助けて運びくるる事もあり。差配の隠居の親切に、何なりとも御用あらばと、いひくるるも嬉しく、泣きて移りし今の住居も、捨て難きまで思ひなりしは、貧に慣れし一徳にやなど、たまには母子《おやこ》の、笑ひ話する事もあり。金之介は学業半途に、呼び戻されて、学校を退きし身の、思はしき口とてはなけれど、世話する人あるを幸ひに、父の没後は土佐堀辺のある私立学校に通ひて、わづかなる俸給に、母子二人の口を糊するを、何よりの事と思ふ身の不運を、心ならぬ事に思へば、いかで今一度青雲の志を遂ぐる楷梯もがなと、精勤更に怠らず、暇あるをりをりは、独学に心を慰むる、若きには似ぬ心掛けの、校長にも知られてやその受けよし。今日は我が方に何か御馳走がある筈なれば、是非に同行して、ゆるゆる話したまへと、深切に勧めらるるを否みかね、母のさぞ待ち詫びたまはむにと思ひながらも、誘はれてそが方に行き、晩餐の饗応《ふるまひ》にあづかりたる後、好める学術の談話に思はず時刻を移し、やうやくに辞し去りたる頃は、はや仲秋望後の月の、大空に輝く時なりけり。
 幾度か雪駄直しの手にかかりて繕はれたる靴の、急くほど足痛けれど、携へたる紫メリンスの、風呂敷の中には、校長の注意にて母への土産もあるに、心勇みて玉江橋の中程まで来かかりたる金之介の、足音に驚きてや、橋の欄干に身を寄せたる婦人の、しかも年|弱《わか》く、月の光を受けて面《かほ》の色凄きまで蒼白く美《うるは》しきが一歩二歩歩み出たり。訝《いぶか》しとは思ひながら行過ぎたれど、何となく気にかかりて振り向けば、また立止まりてさめざめと泣くさまなり。あまりの不思議にしばしば見帰れば。かなたも気味悪げにこなたを見たるが。しばし何事をか打案ずるさまにて金之介の傍へ駈け寄り、あなたはもしや兄上様、イイエあの淵瀬の若旦那様ではござりませぬかと、問ふに金之介は驚きて、よくよく見れば稚な顔のいたく大人びて、見違へたれど紛ひもなきお静なり。いかにしてかかる辺りに彷徨《さまよ》へるにやと思へど、今は親しからぬ身の左右《さう》なくは問はず。ただ訝しげにその顔をうちまもるにぞ、お静は涙ぐみながら、言葉せはしくその身のあ
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