鼓して虎穴に入るの考なれど、さすがその道の老練家だけありて、早くも君子の意気を察し、心の燃ゆれば燃ゆるほど、外はかへつて冷に装ひ、たまたま君子の父母の浄水にでも立去りて、君子としばし対座する事ありとも少しも嫌を招くやうなる素振は見せず。さも厳格らしく構へつつ、一ツ二ツの談話をなすにも、あるは文学美術の事、さては小説技芸のはなし、ある時はまた世の婦人の不幸を悼み、男子の徳操なきを歎ずるの詞を発するなど、さまざまの方面より君子の意思を探り、いづれ君子の意に合《かな》うやを試むるなど、千変万化の方略を尽くせしに、さすがは文学士ともいはるる男だけに、君子も打聴く毎に有益に感ずる事も多ければにや。いつしかに甲田の来るをさまで厭はず。思ひしほどの軽薄なる人にもあらざりけりと、憎からぬまでには思ひなりぬ。
 その機を察して抜目なき甲田、一方よりは軽井の口軽を利用し、思ひ切つてこれに利を啗はせ、いよいよ我が器量勝れたる男なることを、君子の父母に吹聴さするの材料に供ふるなど、諸般の手配ことごとく調ひて、今はただその本尊たる君子の、心機一転を竣つのみの、有望なる時とはなりぬ。

   その六

 花子は我
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