しかば、直ぐにさうとは極めかぬれど、あまりにも話が似たるやうなりと、それのみ心にかかれるままに、我が上を考へむまでもなし、花子の上のみ気遣ひてとかく躊躇《ちゆうちよ》のおももちなり。さるをその子細知るよしもなき父は、君子の済まぬ顔を見て、はや何をかものいひたげに、肝筋の額際に顕れかけしを見てとりし母親気を利かして、こんな事は直ぐに思案も極めにくかろ、それでは私が後で篤《とく》りと申し聞こしまして、御返事を致しませう程にと、躰よくその場を済ましくれたれば、君子はほツと一息して、我が部屋へ退きたりしが、背後につきてはや母親は入来りつ、なほかにかくと説き勧むるを、君子はおとなしくハイハイと受けて、やうやく最后に口を開き、実はまだお母ア様にはお話し申し上げませんが、花子さんがこれでと、始めて花子のあらまし打明け、どうやらそれに似たやうなお方と思はれまするので、それで御返事を致しかねまするといふ顔眺めて母はホホホホと笑ひ、お前そんな筈があるまいじやないか、それ程花子さんには熱心な方が、二道かけてこちらへ申し込れう筈がない。この広い世の中に似たお方はいくらもあろ、それはお前の案じ過ごしといふものだよと始めは少しも取合はざりしが、おひおひこれも引込まれて、さういへば先づ似たといつたやうなものだね、それに花子さんの方の方のお名前は分らないとおいひのだね、困るネー、それが知れるとすぐ分るのだけれどもとこれも思案の首を投げて、それじやアお前明日にも花子さんを御尋ね申して、それとなく先方様のお名前を聞いて御覧、お父様への御返事はその上での事、それは何も申し上げぬ事にしませうとやうやく母も納得せしかば、君子は明るを待ち侘《わ》びて、いつになく身支度さへもそこそこにおのが上より友の上、案じらるるままに車を急がせ花子の方をおとづれぬ。
さて花子に逢ひて、直ぐにもそれといひ出しかぬれば、しばらく四方山の話に時を移したる末、ネー花子さん、先だつてのあなたのお話は、甲田さんではございませぬかと突然の問に花子はサツと面を赤めしが、さあらぬさまにてイイエさうではございませぬ、があなた何故それをお尋ねなさるの、別になぜと申すほどの事でもございませんが、少し聞込みました事がございますのでと花子の顔色を窺ひしが、花子は何の気もなきやうにて、ソー甲田さんツて美郎さんの事ですか、さうです美郎さんと承りましたよ、何だかこの節あの方がお嫁さんを探していらつしやるといふことを、ヲヤといひて花子はしばし考へゐしが、やがてにやりと笑ひながらそれは大方昨年頃の話でしやう、今では何でも外にお極りなすつたとか聞きましたよ。ソーと君子は少し首を傾けしが、さすがに我が方へ申し込めりともいひかねて、では大方話した人が知らないのでしやう、それなれば宜しいがといひしが、なほ安心なり難くてや、またもや花子に念を押し、ではあなたきつと甲田さんではないのですネこれには花子もちとたゆたひしが、かつて学校に在りし時なぶられたる事もある身かつはうしろめたき点もあればにや、いいゑ違ひますとの確答を与へぬ。君子はこれに安心して、往きは重荷を載せたる肩も、返りはかるかるとなりし心地せしが、さて我が家の門近くなりて見れば、これよりはまた我が身の上なり。花子のこれに似寄りたる縁談にも注意を与へしほどの我なれば、たやすく肯はむやうはなし。されど父母のかほどまでに進めたまへるものを、何と断りてよきものやらと、ふと考へ出しては我家の閾も高く、いつも家路を急ぐ身も、今日は何とやら帰りともなき心地もしつお帰りと叫ぶ車夫の声にも、ビクリと胸を轟かせぬ。
母は君子を待ち侘びたるらしく、大そうお前遅かつたネー、何しろ寒いだろうから、早く火燵にお這いり、平常着も前刻にから掛けさせてあるから、三ヤお前旦那の御用に気を注けとくれ。私は少し嬢さんに話があるからと、一刻も早くその様子を聞きたげなり。君子はとやかく思ひ悩めど、さて花子の方の案に違ひたるを、包み得べくもあらぬ事なれば、拠なく有りのままを告げたるに、母はさもこそとしばしばうなづきて、さうだらうともさうだらうとも私もまさか[#「まさか」は底本では「さまか」]とは思つたのだけれど、あまりお前が気にするもんだから、とうとう釣込まれてしまつたのだよ。朝からお父さまが君はどうしたどうしたとお聞きなさるもんだから、拠なくその事を申し上げると、馬鹿に念のいつた奴だと大笑ひに笑つていらつしやつたよ。ああこれで私も安心した。この上はお前もいざこざはあるまいと、これもまた異存なきものに極めし様子なり。君子はとかく心進まねど、さて花子に注意を加へたる筋の事などは、父母の前にいひ得べくもあらぬ事なれば、ただ今しばらく独身にて在りたい由乞ひけるに、父はこれを我儘気随意とのみとりて、それ程の事は親の力にて抑へ
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