得べき事と思へるにや、形ばかりの聞合せも済みて、先方へは承諾の旨告げ遣りぬ。

   その五

 甲田は心多き男の常とて、君子に対してもさして結婚の日は急がず。それも一ツは離婚したりといふ妻の里方、極めて身分卑しきものなりしを、容貌望みにて搆はず貰ひ受けたるに、これも程なく飽き果てて、さまさまに物思はせたる末、難僻つけて強て離婚せむとしたるなれば、里方にてはヲイソレと籍を受取らず。表面は離婚したるに相違なけれど、その実籍は今も残りて、とかくは後の縁談の妨げとなるを、強て除かむとすれば、多少の金を獲ませではかなはず、それも日頃の性悪にそこの芸者かしこの娘の始末と、とかくに金のいる事のみ打続けば、世間で立派に利く顔も、金の事となりては、高利貸さへ取合はぬほどの、不信用を招きゐるなれば、纒まりたる金の融通付けむやうはなく、拠なくそのまま据置きとなりゐるなるを、一人ならず二人にまで結婚を申し込めりとはさてもさてもの男なり。されど元来世才に長けたる男なれば、巧みにそのボロを押隠して少しも人に知らさねば、これと同窓の因ある花子の兄さへこれを知らず。まして君子の父は明治の初年かつて某省の属官を勤めたる事ありとか聞けど、その後久しく官辺との縁故も絶へて、公債の利子持地の収入などによりて、閑散なる生活を営みゐる身なれば、次第に世とも遠ざかり、何事をも聞き知るべきの便宜なきをや、されば甲田を日本一の花聟とのみ思ひ込み、何ぞのふしには君子をば、幸福ものじや幸福ものじやといふが今日この頃の口癖なり。甲田は例の好き心より、いかにもして親しく君子の方へ出入りし、これに近寄る便宜を得ばやと、申し込みの節橋渡しの役に当らせたる幇間的骨董商の軽井といふを招き寄せイヤどうもこの間中は大変お骨折だつた。貴公の尽力でもつてどうか竹村の親爺も承諾したさうで安心した。がまだ直ぐに結婚するといふではなし、半歳と一年は待つて貰わなくツちやアならないのだから、その間に交際してみるといふ訳には行くまいかネ。日本ではとかく結婚前に本人同士交際してみるといふ事がないもんだから、得て苦情が後で起こるんだ。君子の性行は随分いいやうに聞いとるもんだから、それでおれも貴公に尽力を頼んだのだか、さて極まつたとしてみると、少しは交際もしてみたいネと真面目にいはれてみれば、何事も御意にござりまするといふが軽井の商売、殊に甲田は竹村よりも軽井の為には大事の得意なればイヤごもつともなるほどなるほどと心底感心らしく聞きてはゐたれど、何よりも心配なは君子の父の昔堅気なり。そこをどうしたものと、少し思案の首を傾げたれど、もとよりかかる事には抜目なき古狸いかやうにもごまかすつもりにて、イヤ宜しうござります。ともかくも計らうてみませう。だか旦那新橋や葭町のと違つて、少しは手間どりませうからと、勿躰らしくいふに甲田はニヤリと笑ひ、イヤさう首をひねらなくツとも、何もかも承知してゐるサ、貴公の手腕はかねて知つとるんだから、どんな難物でも説き付け得ぬ事はなかろう。その代はりいつか持て来た応挙、あれは少し恠《あや》しいのだが、買ツといてやるサ、自他の為だ尽力すべしかハハハとおだてられて軽井は内かぶとを見透されじとやいよいよ真顔になり。イヤ旦那そりやアおひどうごす。あれはあれでもつてどこへでも通る品でがすから。で別にどこへか連れて行けといふのか。ヘヘヘヘ全くもつてさようの訳ではヘヘヘヘ実は旦那こうなんですが。あの叶屋の御愛妾と、花月の女将が私の顔を見ますると、旦那をどうしたんだ、なぜお連れ申さないツて、私の存じた事か何ぞのやうに、やかましく怨じますから、それでもつてあの方角へは禁足を致しておりまするので、これで八方塞がりと申し訳になつて、どこへも顔が出せませんので……、せめて一方だけは血路を開いておきたいと存じましてヘヘヘヘヘ。いいサ何もかも大承知だ、万事は成功の上としておくから、一日も早く竹村の方へ、おれを連込む工夫をしてくれ、その上はおれの方寸にあるから。ヘヘヘヘヘまた凄い御寸法でげすな、イヤ宜しうございます、どうにか勘考致しませうと、軽井は軽く受け込みたれど、さすがの男もこれには少し手を措きゐたるを何ですネーお前さん、何をそんなにぼんやり考へ込んでるのとその夜女房の注意を受けたるが刺激となり。翌日は早々竹村の方を訪ひ、かねての口先にて、いかに工合よく君子の父に持込みけむ。さすがの昔堅気をいひほどきて、そが好める囲碁の相手といふを名に、甲田の方より訪ふべき筈の運びをつけぬ。
 これはこれは見苦しき茅屋へ御尊来を戴きまして、何とも恐れ入りまする。このたびは不思議な御縁で、不束なる娘をとの御所望、私におきましても老后の喜びこの上もなき事に存じまする。かやうな辺鄙で何の風情もござりますまいが、御ゆるりと御話を願ひまする。こ
前へ 次へ
全10ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
清水 紫琴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング