素振りも見ゆるに、それそれその嬉しさうなお顔がいよいよ恠しいとまたも鈴子のからかひかかるに、よしよしお二人でたんとお意地めなさいまし、どうせ二人に一人ですから叶ひませんわ、だけど君子さんには私も申さねばならぬ事がありますよ、あなたは甲田さんを知らないとおつしやるけれど、甲田さんはあなたを知ツていらつしやいますよ、いつか私が御目にかかつた時、あなたの学校に竹村君子さんといふ方があるでしやうと仰しやつた事、兄も存知ておりまする、いづれその内篤と聞き合ひまして、この御返礼を致しませうと、なぶらるるやらなぶるやら、どちらへ団扇も上げられぬ、詞争ひそやし合ひ、あいも変はらぬ戯れ言も隔てぬ中の友垣は、よそに知られぬ楽なるべし。

   その二

 ここは処も嘘ならぬ本郷真砂町の何番地とやらむ、邸造りの小奇麗なる住居、主人は桜井直之輔とて、書生上りの若紳士、まだ角帽抜いで二年越とやら、某省傭の名義にての出仕、俸給は五本の指を超へまじけれど、家内は廿一二の美しき細君と、去年学校を卒業したりといふ妹の花子、下女のきよ[#「きよ」に傍点]に洋犬を合はせて、四人一匹の小勢なれば、暮し向きもさまで約しからず。若き人のみの寄合とて、時ならぬ笑ひ声に近隣の人を羨せぬ。
 常さへあるにまだ注連あかぬ正月早々とて、日毎の客来絶間なく、夜の更くる事も珍らしからねば、喜ぶは御用多き出入の酒屋と、御馳走に有付く洋犬となれど迷惑なは下女のきよ[#「きよ」に傍点]、これきよやあれきよやと、追遣はるる忙しさも、平常がらく[#「らく」に傍点]なだけにきよ[#「きよ」に傍点]もぼやかず和気は家内に充ち充ちたり。今日もおととひより三晩続けて来る、甲田が昼よりの居浸りなれば、大方また夜の更ける事であろと、きよは宵より台所の火鉢の傍にて、コクリコクリと居睡り始めぬ。
 奥には六畳の小坐敷をしめ切りての花遊び、主客と細君妹の四人が、四季の眺めに飽かぬといへば、風流げに聞こゆるなれど、これは殺風景なる輸贏《かちまけ》の沙汰もその身に取りては競争の面白ければにや、いづれも夜の更けしをも知らぬさまなり、花子は身にしむ寒さにふと心づき、おや、もう一時過ぎなのですよと誰にいふともなし独言ては直之輔は振向きて時計を見ちよつと気をかへて、一時が何だ何が恐ろしい、一時だつて二時だつて搆うものか、サアサアもつと遣るべし遣るべしヲイお菊(細
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