を薦むるものは、いささか深厚の知遇に酬《むく》ゆるに外ならず。冀《こひねがは》くはこれを諒せよ。門下生某泣血頓首。
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 覚束なき筆の跡ながら、一郎を知る、先生の眼には自から生気あり。撫然として長歎独語、
『ああ惜しい、青年を廃《すた》らせた』
 その余響かあらぬか、朝野策士は、重ねて国野氏を訪はず。されば国野氏が邸内の光景は、旧によつて旧の如くなるも。流言蜚語は、未だ全く跡を絶たず。その進退は今もなほ、世間疑問の一問題たり。
 されど一郎は疾くその筋の手に捕はれて、その黯澹たる半世の歴史は、謀殺未遂犯てふ罪名の下に、葬られ了《おわ》んぬ。知らず彼がかねていへりし将来の志望とは、かかる疎暴の一挙なりしか、ああかかる簡短の児戯なりしか。行雲語らず、流水言はず。さはれ世評は既に定まりぬ。咄痴漢《とつちかん》、何等の大馬鹿者ぞ、戦後日本の文明を汚せりと。
 外に二三|巾幗《きんくわく》の評語あり。
『ほんとに思つたよりも、恐ろしい男だつたよ。永く置いといたら、私達だつて、どんな目に逢つたか知れやあしない』とこれのみは七十五日の後までも繰返されしを、鎌倉河岸と、飯田町の辺に、聞きしといひしものありし。(『世界之日本』一八九七年七月)



底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
   1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「世界之日本」
   1897(明治30)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
2005年10月31日修正
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