同盟やと、ぐつと乗地のきた南。東西へ遊説の費用までも引受けて、瞬く隙に財産を蕩尽せし壮快の夢、跡をひきし廿三の春。敵味方入り乱れの戦場に、三百の椅子のその一ツを、占しが因果同志との、悪縁これに尽くる期を失ひて、なほも丹心国に許す、殊勝なる心掛を、新聞屋の京童は嘲りて、田舎議員の口真似を、傍聴筆記の御愛嬌に売る心外さ。その新聞の伝はりては、ゑらものと誉めし郷里の親族までも、酔狂ものと指弾する、表裏反覆頼みなの、世の人心を警醒の、木鐸となる大任は我が双肩に、かかる奴等を驚かさむは、政党内閣の世となして、乃公は少なくも次官の椅子を占むる時にこそあれと、力めば力むほど要る費用、なかなか八百の歳費では、月費にも足らぬ月のあるを、国許より御随行の奥方は危ぶみたまひ、形の通りの御諫言もありしかど、婦女《おんな》幼童《わらべ》の知る事ならずと、豪傑の旦那殿、一口に叱り飛ばしたまふに、返さむ詞もなさけなの、家道の衰へ見るに忍びず。その心配の積り積りて、軽からぬ御いたつき。そを憐れとは見たまはで、政事家の妻たるものが、そんな小胆な事では、とても今后の乃公には伴はれぬ。かの泰西大政事家の夫人を見よと、奥方はかつて聞きたまひし事もなき、むづかしき名を数へ立てたまひての御説諭。分らぬながらにごもつともと聞かねば、その場が納まらねど、納まりかねるお胸の内。旦那殿にはこの三四年、物の恠がついたさうなと、お熱高まりし夜の囈語《うわごと》にも、この言をいひ死にに。これも間接には国事に殉したまひし憐れさを、旦那殿はかへつていひ甲斐なきものに思ひ捨てたまひ。それについてもかねてより、秘密会議の席をかねて、赤阪に囲ひ置く妾のおあか、かれは大年増の芸者上りだけに、図太いところが好個の資格と、さすがは藩閥攻撃の、旦那殿程ありて、やはり野に置け蓮花草の、古句法には※[#「てへん+勾」、第3水準1−84−72]らず。これを草莽に抜きたまひし御卓見、小子一家の内閣は、早交迭を行ひしぞと、笑談交り、真面目半分、吹聴したまふ事もありしとかや。
 さればさしづめおあかの方は、一郎が母となりし訳なれど、稚きより剛気の一郎、なかなかこれを母と呼ぶを肯《がへ》んぜず。おあかは無理にも、息子待遇にせむとするを、こなたはそれに抵抗して、母といはじの決心堅く。十三の春おあかが奥方となりし年の翌年、父に乞ひてある漢学先生の家塾住居。稀
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