にも家へ帰らねば、双方が胸の高潮は昂まりながら、幸いに甚だしき衝突もあらで、一二年は大村が家も、無事大平の観を呈しき。
おあかはその間に万事己が意に任せて、したきほどの栄耀し尽くし、一郎が事は少しも搆はねど。一郎が妹とくといふは、女の子だけに己れに手なづけ、姿容《きりよう》のよきを幸ひに、玩具代はりの人形仕立、染れば染まる白糸を、己が好みの色に仕入れ、やがてはしかるべき紳士の奥方に参らせむ心の算段。何かにつけて議員さまの、奥様は、こんなものぞといはぬばかり、妙なとこまで旦那殿が、お名前の張持出して、外交に伴ふ内政の方針、これまた無鉄砲なる大仕掛に。驕るもの久しからぬ、四年の任期疾く過ぎて、次回再選の運動費は、出処進退|谷《きわ》まりし、脊に腹は代えられずと、一時の融通齷齪たる、破れかぶれの大功には、はや細瑾の省み難く。首も廻らぬ借財の、筋の悪きを聞付けて、得たりや応と攻め掛けし、反対党の爪牙《さうが》に罹り、そが煽動の出訴により、思はぬ外の監獄入り。世を落選の耕作が、万事休せし一期の淪滅、家の激動、一郎が学びの窓を破壊して。書に親しまむ少年の、春は柳の千縷蕭條、いとくり返し読み得しは、紙より薄き人情の、立つて歩行くが人の名と、思へばさして世の中に、誉れを得むの心はなけれど、冷笑痛罵の奴原を、驚かしくれむづの、心は期する将来の、大名故には螢雪の苦労を積まむ志、あれどもなきが如くする、君子の徳は養はで、執拗我慢の性情の、募り行きしも境遇なれや。この日猪飼を出てより、行くに家なき身のせつぱ、つまるところが父のもの、子が喰ひに行くに何の不思議と、苦し紛れの一理屈。日頃はこれも憤懣の、一ツとなりし継母の住居。父が難儀を傍観の、母娘二人が事欠かぬ、暮しは絶えぬ古川の、水の流れを売喰ひの、この小格子をおとづれしなり。
その六
おつかさんとはいひたからぬ、おあかの顔に瞳を据え。
『一体今の奴は、何といふ奴です。失敬極まるじやないですか、徳を妾になんて』
といふは我への面当と、おあかはわざと冷やかに。
『いいじやないか何だつても。お前あれを知らないかえ』
『何知るものですか、あんな奴ツ』
『ホホホホまたお株が始まつたよ。あれはね、ほら芝に居た頃、始終出入りしてゐた袋物屋さ』
『袋物ツて何です。どふせ正当の商売じやないでしやう』
『困るねえ、袋物は袋物さ。せいと[#「せい
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