小むすめ
清水紫琴

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)凄《さび》しい

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)枕|上《もと》なる

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)思ふから※[#小書き片仮名ン、30−15]だ。
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 氷の塊かとも見ゆる冬の月は、キラキラとした凄《さび》しい顔を大空に見せてはをれど、人は皆夜寒に怖ぢてや、各家戸を閉ぢたれば、まだ宵ながら四辺寂として音もなし。さなきだに陰気なる家の、物淋しさはいや増しぬ。二分じんのランプ影暗く、障子の塵、畳の破れも、眼に立ちては見えねど、病みたる父の、肉落ち骨立ちてさながら、現世《このよ》の人とも思はれぬが、薄き蒲団に包まれて、壁に向ひ臥したる後姿のみは、ありありとして少女《おとめ》の胸を打ちぬ。父は病苦と夜寒とに、寐《いね》ても寐《ね》つかれずや、コホンコホンと咳《しはぶ》く声の、骨身に徹《こた》へてセツナそうなるにぞ、そのつど少女は、慌てて父が枕|上《もと》なる洗ひ洒しの布片《きれ》を取りて父に与へ、赤きものの交りたる啖を拭はせて、またしよんぼりと坐りいぬ。
 少女といふは年の頃十四五、勝れたる容姿《かたち》といふにはあらねど、優形《やさがた》にて色白く、黒色《くろめ》がちなる眼元愛らしければ、これに美しき服《きぬ》着せたらんには、天晴れ一個の、可憐嬢とも見ゆるならむが、身装《みなり》のあまりに見苦しきと、水仕の業を執ればにや、手の指赤く膨らみて、硬太りに太りたる二つ、小奇麗なる顔に似合はしからぬやうにて、何となく憐れ気なり。淋しさと心細さは、四辺よりこの少女を襲へばや、少女は何をか思ひ出して、しくしくと泣きゐたり。
 お袖お袖と力なき呼声は、覚束なくもこの寂寞を破りて、蒲団の内より漏れ出ぬ。お袖はハツと父の方を見遣れば、父はかなたを向きたるまま「おッ母《か》さんはどこかへ行つたかい」「ハイ先刻《さつき》差配のおばさんの許まで行つて来るといふて」「フムまた出歩行《であるき》か、ああ困つたもんだ。己れが床《ね》てゐることも、お前がそうして苦労するのも、気にならないのかネー、モーかれこれ九時にもなるだらふ、ちよつと行つて呼んでお出で」お袖はハイと応答《いらえ》しが、母が近所へ出歩行《である》くは、今日に始まりたる事にもあらず。昨日も隣へ行きたるまま、久しく帰り来さりしかば、父の吩咐《いいつけ》にて呼びに行きたるに、母はその時眼に角立てて「何か用かい、用でなければおッ母さんが帰るまで来なくツても宜しい。朝から晩まで病人の顔ばかり見てゐては、気がクサクサしておッ母さんまで病気が出そうだ、それにお父さんも、昨日や今日の病人ではなし、久しい間の事だから、そう後生大事に、二人が附添《つい》てゐなくつても、ちつとは我慢をしたがよい。何だねこの子は、何をグヅグヅしてるんだ。サツサツと帰つてお父さんにさうおいひ。帰る時分が来たら、呼びによこさなくツても帰るッと」大変に叱られたれば、今日もまたその通り、呼びに行つたとて帰らるる事にてはなかるべし。なまじい呼びに行つてまた叱られ、帰つてから昨日のやうに、お父さんにあたられ[#「あたられ」に傍点]てはそれも苦労と、思ひ返して父に向ひ「ナニネお父さん、おッ母さんは今に帰つて来るだらふよ。何ぞ用ならその間、私《あたし》が」「イヤ別に用事ではないが、お前は昼中働いて、労《つか》れてもゐる事だから、せめて夜だけでも、おッ母さんに代はらせやうと思つてよ」「それなればなほの事、私はちつとも睡《ねむ》くはないから。お父さん気を揉まないでおくれ。それよりはおッ母さんの帰るまで、背など摩擦《さす》つて上げやう」と、小さき手にて身一ツに父の看護を引受けつ。別段辛い顔もせぬ、娘の心の優しさに、父の心も和らぎけむ、摩擦られながら、うとうとと寝《まどろ》みかかりぬ。
 お袖今帰つたよ、表の戸鎖《とじま》りをしておくれ。何だネー霄《よひ》の内からこの暗さは、「オヤおッ母さんお帰り、何ネおッ母さんはをらぬし、お父さんも寐たから、それで贅費《むだ》だと思つてランプの芯を引込めて置いたんだアネ。ハア巨燵《こたつ》――巨燵はとうに拵へて、今しがたおッ母さんの寝衣《ねまき》も掛けて置いたよ。アノネおッ母さん、晩方買つて来た炭団は大変に損だよ。小さくつて柔らかで、今巨燵を明けて見たらもうちやんと、半分から灰になつてるんだもの、同じ一銭に八つんなら、先の方がよつぽど得だよ。今度から先の家へ行つて買つて来ようネー」といかに貧しく暮せばとて、十四や十五の小娘の、口から出やう詞《ことば》とも、思はれぬほど気のつくは、これも平素《つね》からとやかくと、
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