そうすると人にかれこれいはれる事もなし、お父さんにイヤに気を廻させる事もないんだけれど、それでは今もいふ通り、お前の為にならナイからだ。それやこれやのおッ母さんの気苦労は思はないで、おッ母さんを悪くいふとは、ほんとうに親の心子知らずとはこの事だよ。何だとへ、私は何もいはないと。言はないものがナゼ人が知つてます。お前が何もいはないに、誰がそんな事にまで、世話を焼くものがあるもんかネ。ヘン、いくらおッ母さんがお心善しだつて、あんまり馬鹿におしでないよ。言つたら言つたでいいから、おッ母さんもこれからそのつもりにするばかりの事だ。エ、何だとへ、怒られちやア困るとへ、困るならナゼ怒られるやうな蔭口をきくんだネー」と並べ立てたる百千言、詞は巧みに飾れども、飾りきられぬ行ひは、近所の人の眼に触れて、お袖は何も言はずとも、噂さるるは我と我が、身の行ひにありぞとも、心付かでや一筋に、お袖が継子根性から人に告げ口せしものと、思ひ僻めて胸安からず、なほも詞を継がむとす。
 いつの程にか目覚めけむ、父は何をか言ひ出でむとして、コホンコホンと咳き入りぬ。継母はジロリそなたを見遣りたるまま、わづかに口を噤みぬ。お袖は口虎を逃れし心地、これを機会《しほ》に父の辺りへ走り行けり。病父はお袖の介抱にやうやく動|悸《き》治まりけむ、しばらくありて口を開き「お霜、己れも先刻から聞ひてゐたが、子供を捉へて、あんまり喧しう云ひなさんな。お袖の事はマアそれでも善いとして、子供のやうなものに病人を任せ、夜|歩行《あるき》するおぬしもあんまり誉めたものでもあるまい。永うとはいはぬ、せめて己れは寐返りの出来るやうになるまでなりとも、少しはめんどうを見ておくれ。いくらよく気をつけるからツて、お袖はまだ子供だ、一人では手の届かぬ所もある」と寄らず障らぬ云ひ振りをも、継母は何と聞き僻めけむ。今度は病夫《おつと》に取つてかかり、なほとやかくといひ募る。ああまたこれが隣へ聞こへて、人の噂にならねばよいがと、お袖は小さき胸を痛めぬ。
 さてここにてお袖が一家の履歴を説くべし。お袖の父は、もと相応なる商人《あきうど》にて、維新の頃までは、広き江戸の町にても、何町の何屋と少しは人にも知られたるほどの身代にて出入屋敷も数多く有せしかど、維新の瓦解に俄の狼狽、貸付けたる金はその十分一も戻らず、得意先は残り少なに失ひて、これまで通り商業
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