。ひとまづここに落ちつきしかど、なれぬ子持の不器用を、人や気付くと我はとかくに心咎むるを。誰も初めはさうしたもの、これはかうするものでござんす、あれはああでと、かつては子を持ちし覚へある梅さへ露疑はず。身に引受けて世話しくるるも、いづれに金ある内と思へば、心細からぬにあらねども。まだ幾許《いくら》の貯へも、ありし昔は母様の、我をかよはき御手一ツに、育てたまへし例《ためし》もあるをと、思ひかえして我と我が心を幾度励ましつつ、二タ月三月を夢の間に、過ぐれば過ぐる年月の、恨みを人に酬ひむと、跡先見ずにせし事の、今は我が身のほだしとなりて、世に偽りの親の名は、いつしか真《まこと》の親心、人の子ならぬ心地もして、日に可愛さは添ひゆけど、その眼つきから口もとまで、日増に似きかの人に、似る生い立ちを見るにつけ、また思ひ出づる床しさに、これが二人の子ならばと、よしなき昔忍ばれて、恨みつ恋ひつ泣くをのみ、その日その日の楽しみに、うつらうつらと暮れてゆく、年のあゆみにその和子も、二歳となれば、足腰もたちゐにつけて、我をかあちやまかあちやまと、慕ふ子よりも慕はるる、我はせめての罪滅ぼし、不自由はさせで育てた
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