しと、思ふに任さぬ身のつまり、牛乳《ちち》買ふ代にも事欠くと、見て取りし梅の、打つて変はりし不愛想、我を婢代はりに使ふさへあるに、果ては我とその夫との間に、あられぬ事のありといふ、心は知れし無理難題、我を追出す工夫ぞと心付いては居るにも居られず、昼はさすがに人眼を厭へば、夜に紛れてとぼとぼと、泣く子を背に小風呂敷、前に抱へて出てゆく姿は我さへ背後《うしろ》見らるる心地して、あやにく照れる月影を、隈ある身ぞと除きてゆく恠《あや》しの素振り、なかなか人の眼をひきてや、向ふより来し人の、幾度か我が背けたる横顔を透かし見て、そもじは秋野屋のお幸さんではなかりしかと、いはるる声音に覚えはあれど、かかる姿をいかでかはと、我は知らず顔に過ぎむとせしに、かなたはなほも立寄りて、やはりさうだお幸さんだ、我は中川渡なるを、何とて見忘れたまひしぞ。それにしても今時分、ここらをその姿で、ムム分りしさては浅木君はやはりそなたに搆《かま》はぬな。我もこの頃国より帰り、始めて聞きたる浅木の不埓、我この地に在りしぞならば、さる不徳義はさせまじきを、口惜しき事をしてけりと、思ふのみにてそなたの行末、皆目知れぬに、今日までは空しく過ぎしなり。さはいへ我も彼とは同郷の因《ちなみ》、彼の不徳は我が郷の不徳なるを、いかでかはよそに看過ぐすべき。殊に我は媒妁の、関係は免れぬ身の上なれば、篤とその成行き聞き取りたる上、あくまで彼に忠告を試みむと思へしに、ここで逢ひしは自他の幸ひ。さるにてもその子はと、問はれて答のなる身にあらぬを、かなたはこれも早推したまひて、ムム問ふまでもなき浅木の子、馬鹿に似てゐるところが妙なり。かかる有力なる材料ある上は、我は我が友を不義より救ひ、しいてそなたの幸福を回復するも、さまでの難事にはあるまじ。善し我が万事引受けて、都合よく運び得させむに、今の宿所はいづこぞと、他事なくいはれて、恥しさを、忘れしとにはあらねども、たよらむ方もなさけなの、身の入訳を語らむは、この人のみぞと母様の、まちくらしたまへしをも思ひ合はして、とみにも心強うなりつ、さすがに和子の事のみはいひ出でかねたれど、今のあらまし告げまつりしに、さてはいよいよ気の毒なる身の上なりし、さあらむには我も世話ついで、しばし我が心安き方にても、頼み得させむにと、先に立ちて歩みたまふにぞ、心ならねど一二間離れ離れに従ひゆきしに曲り曲
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