こちらとても用はない。男子は裸体《はだか》百貫を、銭の三百持たぬとて、身の置き所ないものか。帰ると思ふて下さるなと十八歳の無分別、不孝たらだら出て見たが。さて世間は怖いもの、銭で買ふ深切は、家並にあつても、無代《ただ》買える人の情は、京中に品切れの札掛けぬが山。親の光は七光の、光に離れた身体では、八方塞がり、こちらから寄つても人は寄せ付けず。たまたま景物出すものが、親御様への詫び言と、敬して遠のく工夫はしても、世渡る橋は掛けてもくれぬに、始めて知つた親の庇陰《かげ》、雨露にも打たれぬ内、親類へも行かうかと、いくたび思はぬではなけれど。いかにしても広言を、継母に聞かれた上からは、男子がさうでもあるまいと、張にもならぬ張持つて、西も東も、行詰りたる味気なさ。まさか死なふと思はねど、桂へ行つてもおもわくの違ひし足の遣り端なく。夜深の人も通らぬを、幸ひの思案場処。桂の橋の欄杆に、水音聞いてゐるところへ、通り掛かつた人こそは、後に舅となるほどの、深い縁《ゑにし》か。その時から他人ではない深切に、我を身投げと思ふたか。是非とも家まで送らふと、強ひられては包まれず。帰るに家なき勘当の身と断れば、なほの事、それはどうでも見離せぬ、いつまでなりと逗留と、連れられたは闇の夜の、月にも見離されたる身、まさかに此村《ここ》であらうとは、心注かぬももつともか。座敷の装飾《かざり》、主人の風体、夜明けて見ても一廉の大商人が夫婦して、親にも勝る親切づく、お顔がさしてもなるまいと、店の方はしめ切つて、何商売と分らねど、座敷にばかり待遇さるる身は詮索の要もなく。一日二日の休み場と思ひの外の逗留も、娘に弾かせし琴の音が、我心をも引止めしか。ままよ帰れといふまではと、腰を据えしが一期の不覚。素人を陥す穽《あな》とは気も注かず。冷たい母の懐に、人となりたるこの身には。世に珍しい人々の情に月も日も忘れ。身を忘れたるその後に、素生をかくと悟りしも。もう遅かりし、行末を、娘に契つた後の事。つらつら思へば世の中に、この仙境もあつたもの。外を奇麗に、内心は如夜叉《によやしや》の中に住まむより、人は穢多ともいはばいへ。人の心の花こそは、かういふ中に咲くものを、折つて棄てるが素人の、穢多にも勝る根性かと。理屈はどうでもつき次第、日が経つにつけ、浅ましと、見た眼も曇つて、皮臭い匂ひもとんと鼻にはつかず。そのまま此村に入聟の、実を結んだは、そなたの一粒。見るにつけても思ひ出す、親様はさぞ心外。いかに若気の誤りも、一生此村の芥になれと、勘当はなさるまい。人間の屑、男子の屑、親兄弟を笑はせて、生まれた子まで屑にする、おれは所詮仕方もなけれど。穢多の唱えも、平民の時節になつて生まれた子を、何の遠慮に一生涯、此村に育ててよいものぞ。先祖の遺体、せめてはこれを、人並々の世に出して、償ひをせふものと。思ふ心を悟りたる、妻も同意は、乳呑子の、そなたを置いて病死の際。どふぞこの子が穢れた血を、あなたのお手で洗ふて下され。河井の家名はどうでもよい、家庫《いへくら》はこの子のもの。素人を父様に持つたお蔭でこの子まで、清まる事なら先祖とて、何の否やを申しませふ。この子の祖父祖母二人共、きつと冥途で喜ぶ顔、私は今から眼に見えて、嬉しふ死んで行きますると。につと笑ふたその顔は、生まれに似合はぬ、美麗しい心のものであつたぞよ。そこでおれが心も決定《きま》り、家庫を金銭《かね》にして、東京へ引越したその後は。我が出所をば知られじと、籍も移して家も買ひ、身持律義にしてゐたれば。誰穢多村の出身と、知らぬを幸ひ、学校へそなたを預けて。我一人金貸|世渡《とせい》も、手を広げず、人交際もせぬ理由《わけ》は。ついした談話《はなし》の、緒《いとぐち》に、身柄を人に悟られまい、無益《むだ》な金を使用《つか》ふまいと、その用心に、なにもかも、一心一手に蔵《おさ》めて置き。天晴れの男に添はせむその時に、拭えぬ曇りは是非もなし。諸芸はもとより、衣類や調度、金で買はれる光だけ、せめては添えてやらふものと、一心込めた親心。廿余年を、何楽しみの偏人生活、友にも、血にも、関係《かかはり》はたへた一人のそなたまで、傍には置かず、すげなうしたは。どうで嫁入りさする時、親と名告らぬつもりの身体、初手から離れてゐるがまし[#「まし」に傍点]と。可愛さを、人並の可愛さにはせぬ心の錠。三年五年はともかくも、廿年をその癖は、これが真実の偏人に、ならずに居らるるものかいやい。さこそは無情《すげな》い父様と、不審も立つた事であろ。泣きも怨みもした顔を、見ぬとて見えぬ親の眼が、偏人は偏人の、泣きやうもした廿年。その甲斐ありて、ありとある、男の中にも、男との、その名ばかりか、ただ一度逢ふても知れる心ばえ。器量はおれが鑒識《めがね》にも過ぎた男に渡したからは、もう用のないこの身体。親も別に拵らえて、河井といふ名の出ぬやうにしてあるからは、すつぱりと役済みのこの親爺。親とはいはぬ親ながら、近所に居るはそなたの妨げ。どふぞ世間の人の眼も、耳も届かぬ処へと、思へば急に故郷の懐かしさはまた格別。乞食の三日が忘られぬ人の情《こころ》の不思議さは、そなたを此村《ここ》に置くまいと、他国に苦労したおれが。自分ばかりはこの村の土となりたさ、多からぬ余命を隠れて住むつもりが。頭隠して尻隠さぬ、不念が基因《もと》のこの失策《しくじり》を、何とそなたに謝罪《あやま》らう。かうと知つたら、かねてより、身の素性をばそなたにも打明けておいたなら、その心得もあつたもの。知らせては一生を、心に咎めて暮さうかと、生中の可愛さを、残しておいたが、失策の種子となつたか残念や。もうこの上は詮方がない。たとへ嘉平はいはずとも、物事万事小細工に、包めるものと思ふたは、おれの誤り、どこぞから、世間へぱつとしてからは、聟殿がなほ気の毒。親爺一人は怨まれまい。父娘二人が同腹で、これまで乃公を欺したかと、痛まぬ腹を探られては、この后のそなたが心も済むまい。思ひ切つて今の間に、そつと離縁を取つて来い。それともにも聟殿が、男を立てて離縁せぬ、新平でも構はぬといはるるならば、それこそ重畳。この親爺はもとより亡いものと思ひ捨て、百千倍も身を責めて、並の女子が貞女には、万倍貞女の手本になり、新平の娘が汚れたか、見ん事世間に見てもらへ。今の思案はこの二ツ。さ、一刻を後れては、一人の噂を増す道理。嘉平人力車のある処まで、荷物を持つて送つてやれと。病苦をものの数ともせぬ、老の一轍金鉄の詞に籠る慈愛の数。さりとてはかくまでも、我を思召すぞとも、知らぬ心の子心に、今も今親を怨んだ勿体なさ。父様許して下さりませ。お道理はお道理でも、これ程のお煩ひ、親を見捨てて帰るのが、まこと貞女の道ならば、孝行はどの身体でいたしませう。かういふ身分が気に入らず、このままに御介抱申し上げたが、済まぬと夫が申すなら、それは先方から違えまする、道はこちらの知らぬ事。よも春衛とてそれ程の、没理漢《わからずや》ではござんすまい。幸ひ昨日のお手紙を、見せましたその時にも、乃公は行かれぬ身体だけ、そなた二倍の御介抱を進ぜてくれ。誰なりとも手助けに、一人二人は召連れてと、心添えてもくれましたれど。かねてからの御教訓、御秘密といふ中に、どういふ事もあらうかと、用心に用心して、供をも連れず参りました上からは。さう早速にこの身分の漏れる事もござんすまい。ともかく四五日御介抱申し上げてのその上に、これならば安心の御容体が見えての事に致しまするも、さほど遅うはござんすまいと。口には平気を装へど。思へばこれが一年か二年に足らぬ契りでも。普通の夫婦を見るやうに、人手任せの気も知らず。出雲の神様、はあこれが、私の夫か妻かとて。合はせられてのその上に、無理に合はせた縁ではなく。他人で逢ふて、贔負眼も、ない間にちやんと見ておいて、許し合ふた上からは。添ふたが一日半時でも、身体ばかりが双棲の、一生涯を連添ふて、生涯気心も知らずにしまふ、雛様の夫婦とは違ふもの。千万年の馴染にも、まさると思ふその中で。夢見たやうな身の素性、これだけは、私も存じませなんだ堪忍してと。打ちつけに、我から破れる相談が出来やうものか。おめおめと、良人に顔が合はせる程なら、離縁との、決心も要らぬ事。それよりも合はせぬ顔を、このまま此村《ここ》に御介抱。一生を、これにて果てるつもりにして、手紙だけにもそのよしを、通じて置かば、二度再び、夫の顔は見ぬとても、生涯を憐れのものよと、思はれて、暮せるだけがまだしもの本望とは、私が愚痴は勝手にせよ。廿余年の御高恩、私ばかりは人並のものになれよと御養育、海山の御慈愛も、親はさうしたものにせよ。子は子の情もあるものを。このままにお傍離れて帰宅《かへ》つた上、もしその素性構はぬといはるるならば私とて、無理に離れる気も抜けやう。さうした時は夫へ不貞、あなたには、かねてよりの御気性。私ばかりの仕合はせを御本意の、親でない子でないと、お便りも絶えての後は御孝行も、どうしてしやう様もない、それが本意でござんしよかと。いはれぬ心の数々を、思ひ残してもじもじする清子をはつたと太一は睨み。まだ行かぬ馬鹿めが。おれが病気が気に掛かるか。定命ならば娘の手で介抱を受けたからとて、このおれの寿命が一日延びやうか。ひとまづ帰宅つてともかくの話を極めて来るまでは、かねて娘でないそなた。たとへ一椀半杯の白湯も汲ませて飲むおれか。そちが介抱しやうとて、こちらが受けぬ介抱に、逗留して何になる。嘉平をはじめ、村のもの、深切な中なればこそ、帰りもした。それをまだ気遣ふて、うかうかする半|※[#「日+向」、第3水準1−85−25]《とき》は、このおれが何十年の苦労を無にする半※[#「日+向」、第3水準1−85−25]と、心注かぬ馬鹿者めが。あれ程いふたにこのおれの心が分らぬ大馬鹿もの、もうその馬鹿ものに用はない。どうなと勝手にしおれいと。枕を取つて投げ棄てる、力は抜けても、中に立つ柱の際に嘉平は喫驚《びつくり》。ひやあ太一さうまでも怒らぬものじや。病気の毒じや勘忍せい。悪いはおれじや、ま、待てやい。お娘はおれがいひ聞かす、いひ聞かすから、聞け太一、待つてくれこれお娘と。間違ひだらけ一息吐き。さてもさてもむづかしい、義理も理屈もあつたもの。余計な事をして退けた、おれが失策。聞く程にの、見る程にの、どう謝罪らうやうもない。悪いはおれじやが、謝罪つて済まぬこの場じや、なお清坊、聞き分けて立つてくれ。頼む拝むこれお清坊。お前が此家《ここ》に居る内はの、太一は怒る、お前が泣く。どちらももつとももつともと聞いてはおれが堪まらぬじや。おれがせつぱを助けると、思ふてちやつと出立《たつ》てくれ。その代はりにはこのおれが、どこまでも、太一の身躰は引受けて、お前の代はりに介抱する。な太一そじやないか、お娘が孝行しやうといふに、お前が怒る法はない。共々にお前も頼め、おれもいふ。素直に出立てくれるのが、これお清坊、孝行といふものじやと。嘉平がその身に引受けて、先に立つたる出拵え。太一もさすが見ぬ振りに、見送る眼、はつたりと、見返る顔に出逢ふては。なう悲しやの一雫、道の泥濘《ぬかり》も帰るさは、恋しき土地の記念《かたみ》かと。とかくは背後《うしろ》へひかるる跡を、心深くも印せしなるべし。
幾日もなく、今尾大臣辞職の飛報は、世人の耳を驚かしぬ。そは今尾夫人が、新平の出身、世に隠れなきと同時に。さる身をもつて、畏き辺りに、拝謁の栄を辞しまつらざりしは、いかにもいかにも恐れ多き事なりとの。至つて至つて小児《こども》らしき感情問題をもつて、敵党の乗ずるところあらむとせしを。時の総理は一笑に付し去りて顧みざりしも。今尾大臣は、これに対して、大いに悟るところあり。文明の器に盛るに、蛮野の心もて、争奪を事とせる渦中に投じ、生涯を空しき声に終はらむそれよりも。人は女々しと笑はば笑へ、人道の為、しばらく身を教育事業に転じつつ、おもむろに時機を待つべしとて。あらゆる資産と共に、身を北海道に移しけるも。稚きより境遇が生む自棄の子の、あはれ全国そこここに
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
清水 紫琴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング