を襲ひ、えもいはれぬ、不快の感を、喚び起こせるも理や。葱の切れ端、鼠の死骸の、いつよりここには棄てられけむ、溝には塵芥《ごみ》の堆《うづたか》く、たまたま清潔《きよ》き家ぞと見るも、生々しき獣皮の、内外には曝されたる、さりとては訝しさを、車夫に糺せば、個は穢多村なりといふ。穢多村の、そこに要あるこの身にあらず、西京には銭坐村の、この外になき事か。へいへいそれはごもつともでも、銭坐の村名は、ここに限るを、どうしたものと、車夫も不審を、引込みかぬるに。それならば是非もなし、よもやと思へど、この村に、河井太一といふお方の、ありやなしやを尋ねておくれ。へいへい宜しうござりますると、とある門辺に声掛くれば。白きものに、前掛けせし女房の走り出で。太一さんならその辻を、左へ廻つた三軒目、心易うして居るほどに、知れずば教へて上げやうと。袖なしはんてん[#「はんてん」に傍点]引掛けて、馴れ馴れしくも附添来るは、この珍客の来臨を、近処へ布告《ふれ》む下心、家並に声をかけ行くも、かかるところの習ひかと、人力車の上なる人の身は、土用の天にも粟立ちし、身の寒さをも覚えしなるべし。

 お父さま、御気分は、どの様にござりまする。一時も早うと存じましても、十五時間、やうやうただ今着きました。さぞかしお待ちあそばしましてと。破れ畳に、煎餅蒲団、壁に向かひて臥したる老爺《ぢぢ》の、背後《うしろ》にしよんぼり、夢心地。坐りし膝も落着かぬ、外面の人立ち、迷惑を、夕陽に寄せて、そつと締め。ま何からお話し申さうやら、存ぜぬ隙に、東京を、お引払ひのその後は、夜の間も忘れぬ御懐かしさも、御教訓の重さにはと、思ひ替えて、朝夕を、一人で泣いておりましたに、思ひも寄らぬ昨日の御たより。やれ嬉しやも、心配の先立ちまする、御重病。はやはや来いのお報知《しらせ》は、どなたのお筆かは知らぬど、どうでお許しあつての事。お目に掛かれる嬉しさが、もし御病気の心配なしに、来らるるものなら、どれ程にも嬉しからうと存じましたは、栄耀の沙汰。早速夫の許しを受け、御介抱に、参りました上からはもうもう御安心あそばして下さりませ。これまではお一人の、御病気ではなほの事、御不自由でもござんしたらうが。かうして私、参りました上からは、ここが何なら、病院でも、お心任せの御養生、どの様に致してなり、きつと早々御全快はさせまする。思ふたよりは、御気分もお宜しさうなお寐姿、この分ならば今の間に、御全快はあそばしませふ。先づ何分にも、お心を寛やかにあそばすが、何よりのお薬と。見るからに陥ち凹みし、頬はかうでもなかりしに、さりとてはお痿《やつ》れと。横顔ながら、身の痩せも、思ひ知らるる悲しさを。何事なげにいひなして、力付くるも、孝行の手始めぞとや、膝すり寄せ、脊の辺りを撫で掛かる、手を病人は払ひ退け、滅相な滅相な、どこのお女中様かは知らぬが、前刻《さつき》から聞いてゐれば、父御様にも仰しやるやうなお見舞は、なんとももつて合点が行かぬ。御風体なら、御人品、新平の親爺が娘に持つやうな、お人柄でもないものを、どう門違えなされたか。御身分にも※[#「てへん+勾」、第3水準1−84−72]はる事、早速お帰り下されい。な、なるほどこの親爺、娘一人持つた覚えは確かにござる。でもそれは、子細あつて、父子の縁切れ、父でない、娘でない一札が渡してある筈。どう狼狽《うろたえ》て、この様な処へ親を尋ねて来る、馬鹿ものではござらぬからの。これには何ぞの行違ひ。病気の報告があつたとは、いつさい合点が行かぬ事。恐らく誰かの悪戯に、手紙を出した事かは知らぬが。隠すより顕はるる、お前様の住所を人に知られたは、一つの災難、もうこれで、緒《いとぐち》は出来たにせよ、好んで秘密を破るでもなからう。今の間ならば、門違えでも事は済む。世間へぱつとせぬ内に、さ早う去んで下され、帰つて下され。縁は切つても、子の味知つたこの親父、よそ外の娘御でも、気にかかる。新平の子と間違えられては、お前も立つまい、お前様の御亭主はなお立つまい、それが父御の本懐か。門違えでも一言の、見舞は受けたこの親爺、養生もする、死にもせぬ、安心して帰らつしやい。これ程いふに、もじもじして、まだ立たれぬか、帰れぬか、さてさて鈍な女中じやの。ええわそれではこの親爺、叶はぬ腕にも立たせてみせる、引張り出すが承知かのと。危ふき足もとよろよろと、立ち掛けて身をばたり、あはやといたはる女は涙、親爺も残念共泣きの、涙はさすが眼に充ちて、口ばかりは強さうに、帰れ帰れと続けたり。
 折から門の戸引開けて、入来る男は羽織がけ、鄙しからぬ風躰は装へど。どうやら爛れ眼、皮のもの、煙草入れを手に提げて、どかりとばかり胡坐《あぐら》かき。太一怒るな了簡せい、麁相はおれじや謝罪《あやま》るわ。まあ女中も落着いて、せつかく来たもの聞きなさい。この中から太一が病気、それはそれは大熱で、とてもじやないが治癒《なほ》るまいと、かういふ村でも村中は、親類交際、素人より、親切なだけ心配する。中でもおれは、小僧の時分、太一には手習ひも教はつただけ、懇意も格別。この春太一がこの村へ、廿五年の久し振り、帰つてくれたその後は、兄弟同様、人一倍案じるにつけ思ひ出し。何でもここを出る時分、一人の乳呑はあつた筈。どこへ置いて来たともいはぬが、生きてゐるなら、報告せてやれ。もしもの事があつた時、跡の思ひが憐れぢやと、何遍いふても取合はず。旅の空で困つた時、親知らず子に遣つた。生死共に分らぬ娘、打遣つておいてくれ、逢ひたいとも思はぬと、ただ一口にいひ消せど。熱が嵩じた囈言《うわごと》には、またしてもお清お清といひ続け。春衛さんが大臣に、ならしやつて目出たいわ。嬉しやお清、嬉しかろ、逢はれぬが残念じや、逢はれぬ親の因果を見いと。二言目には、逢はれぬと、お清お清のその中には、春衛さんの、大臣が耳立つて。はてな、何でも子細があらうと、考へれば、なるほどな。噂の高い新米の大臣は、どれもこれも、一足飛びの出世の中に、今尾春衛といふ人が、確かにあるといふ事に。これはてつきり太一めが、東京に居たとはいはぬが、詞は隠せぬ東京訛り。よくある奴で遊所へでも、娘を売つたが縁になり、その春衛とかいふ人の、傍に居るではなからうかと。な怒つてはくれまいぞ、思ひ付きの当推量。それ程恋しいものならば、逢はしてやるも功徳じやと。二三日前、医師の奴、これはと首をひねつた時。ままよ、よしんば間違ふても、これが警察行にもなるまい。当るも八卦、当らぬも、八卦を当ててみるつもり。一時も早う来てくれと、藪から棒の手紙は書いても。東京の、処は分らず。大臣の春衛が内で、お清様。これがさうなら大当り、お娘が出て来て、二人共、喜ぶ顔を見る時に、おれが手柄を吹聴しやうと。太一には沙汰なしで、手紙を出したは、猿智恵か。先刻嬶が話では、何でも立派な女客が来たとの事。しめたぞやつぱり当つたか、喜ぶ顔を見て来うと、これこの様に、羽織まで、身装《みなり》をつくつて来て見れば。大あて違ひ、大|失策《しくじり》、帰れ去ねいと太一が小言。戸外で立聞く、身の辛さ。お娘が気の毒、可愛《いとし》さに、怒られるのは承知の上で、おれが出過ぎを白状する。な太一、新平の娘といはせまいとの心配。親の慈悲はさうでもあらうが、来たからは詮方がない。今日一日を打解けて、逢ふたからとて、このおれが、娘が男の名をいはずば。お前の娘と近所へ知れても、どこの何といふ素人に拾はれたとも知れずに済む。麁相《そそう》をした上、口賢ういふではないが、よ太一。天照大神八幡宮、春日明神三社を掛けて、誓ひを立てる。嬶はおろか、死ぬまでも、口から外へ出しはせぬ。安心して逢ふてやれ。なお清坊、そじやないか。お前はとんと知るまいが、おれは嘉平といふ太鼓屋、今年四十歳を出過ぎもの。お手のものだけ廿歳の頃、でんでん太鼓でお前が誕生、祝ふてやつた事もある。その時の稚な顔、これ程の女子になるとは夢じやてな。今の身分がどうであれ、我かおれかがこの村の、通り詞じや。はははは失礼のはつれいのと、詞咎めをせまいぞと。囁く際も内外に、心を配るは立聞きを、おのれに懲りて見張番。嘉平が立つ居つするを。じろりと太一は見る眼の憂さ。坐れ嘉平、今更それが何になる、とぼけた真似をするないやい。戸障子を塞いだら、世間の口が塞げるか。馬鹿めこれがどうなるぞと。怒りの声も、身の疲れ、枕抱えて吐く息の、深くも心痛むるを。お辛度からう、撫でさせてと、怖々さしよる清子が身は、心ならずも、撫でさする、父に劣らぬ憂き思ひ、さてはさうした身分かや。今までさへに里方を、謡はれしもの、この後が、思ひやられて浅ましや。よしこの上は重ねても、良人の家へは帰るまじ。身は新平のそれもよし、貴夫人と囃されて、親に事《つか》えぬそれよりは、新平とても人の子の、道は一ツを立ててこそ、人と生まれし甲斐はあれ。同じ人の子、平民を、など新旧には分ちしぞ。差別なしとは表向き、世の習はしは、新といふ、文字のすべてに喜ばるる、それに引換え、平民の上に冠《かぶ》りし新の字は、あらゆる罪と汚れをば、含めるもの、世の人に誤らるるも理や。昨日までも今日までも、良人《つま》に連添ふ我が身とて、平民主義を上もなき、真理と採りしこの身さへ、身を新平と聞き知りては。道理の外の新しき、汚れに染みし心地もする、我さへにさるものを。まして浮き世の位山、尊きを望む人心、卑《ひく》きはよしや衣と食を、姦淫に仰げばとて、新平ならぬを栄とする、世の人口《ひとびと》に何として、穢多ばかりかは、人口の心の汚れ、それこそは、実に穢多なりと質《ただ》さるべき。よしそれとても、今日よりは、ここを我が身の死に処。心の限り養生をさせましてのその上に、御全快にもなるならば。父子《おやこ》二人が身を捧げ、同じ汚れの名にも染む、人の為にも尽くすぞならば。自からなる楽しみの、その中にしもあるべきを、何にこの身を歎くべき。いやまてしばし、一筋の理屈はよしやさりとても。新平の娘を妻にもしたまひし、良人の名折れ、明日よりの、お名の汚れを何とかせむ。知らぬ昔はともかくも、知りてこの身を潔く、たとへば引いて退いたりとも、それに雪《すす》げる御耻辱が。かかる因果の身と知らば、恋しき君を良人には、持つまじきもの、なまなかに、遂げての後に、遂げずなる、恋とは知らで、恋しさを、一日一日に寄せられつ、寄せては返す浦の波、我からわれて別るるを、貞女の道と知るほどの、道理は何故に覚えしぞ。怨めしの父様や。新平ならば新平と、疾くにも明かしたまはむには。身を憚りて、世の中の、わけても名ある御方に、身を任せじを。これだけが、あなたへ不足。その外は新平ばかり継子にする、世間の人が不足ぞやと。口に出してもいひたさを、じつと堪《こ》らえて涙ぐむ、清子が顔を、さもこそと、太一は重き枕を擡げ。泣くなお清、改めていふて聞かす事がある、少しその手を休めてくれ。よ嘉平貴様も好きで出た角力、共々に聞いてくれ。湯なり水なり欠け椀に一杯注いでくれぬかと、しづかに咽喉を霑《うるほ》しぬ。

   下の二

 あ残念や、この太一は、京も中京さる町で、人に知られし医師の子が、稚いから継母に、かかる身の習ひとて、おれは知らねど僻み性。下女下男まで弟御には似ぬ兄様よと軽蔑《けな》すのも、やつぱり継母の指図かと、思へば万事おもしろからず。好きで書物の一冊は、読む尻から、弟や継母の小声が気になつて。ええも止せ止せ、家に居て、こんな真似しやうより、外で少しは気晴しと、あてもなく出歩く内。悪い友には誘はれ易く、茶屋が二階の朝酒に、舌鼓打つその頃は、菓子料や薬礼も、大方おれが袂のもの。父が手許の金までも、持出したを見付けられ、もう今日限り勘当と父親の立腹も、われ悪いとは少しも思はず。おほかたこれも弟に、家継がせむ継母の讒言、欺されて無慈悲の父親怨めししと。勿体なや親心の今で思へば血の涙、勘当の意気張を、どの親類にも泣付いて、詫び言いへば済んだもの。おお出て行きませふ、出ませいでか、親のものは子のものを、使ふたからとて、わづかな金に惣領を見替えるほどの親父様
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