の事、それはどうでも見離せぬ、いつまでなりと逗留と、連れられたは闇の夜の、月にも見離されたる身、まさかに此村《ここ》であらうとは、心注かぬももつともか。座敷の装飾《かざり》、主人の風体、夜明けて見ても一廉の大商人が夫婦して、親にも勝る親切づく、お顔がさしてもなるまいと、店の方はしめ切つて、何商売と分らねど、座敷にばかり待遇さるる身は詮索の要もなく。一日二日の休み場と思ひの外の逗留も、娘に弾かせし琴の音が、我心をも引止めしか。ままよ帰れといふまではと、腰を据えしが一期の不覚。素人を陥す穽《あな》とは気も注かず。冷たい母の懐に、人となりたるこの身には。世に珍しい人々の情に月も日も忘れ。身を忘れたるその後に、素生をかくと悟りしも。もう遅かりし、行末を、娘に契つた後の事。つらつら思へば世の中に、この仙境もあつたもの。外を奇麗に、内心は如夜叉《によやしや》の中に住まむより、人は穢多ともいはばいへ。人の心の花こそは、かういふ中に咲くものを、折つて棄てるが素人の、穢多にも勝る根性かと。理屈はどうでもつき次第、日が経つにつけ、浅ましと、見た眼も曇つて、皮臭い匂ひもとんと鼻にはつかず。そのまま此村に入聟
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