泣き、口に笑ふが常なれど。いづくいかなる隙間より、涙の漏れて、世の人の譏りの種子とはなりにけむ。王者貴人も、恩愛の涙見せずに居らるる国の、あらばそこにて譏らるべし。何を不足の我が涙、浅い世間の推量は、まだもまし[#「まし」に傍点]かや、術なやと。世の蔭口にも謹しみの笑窪《えくぼ》加へて侍れば。ただおほように行衛知れずといふ事の、気には掛かれる春衛さへ、その当坐こそ慰めたれ。忙しき身の事々に、取紛れては、如才なき、妻に任せし家事心。忘れがちなるこの頃を、その事としも思はねど。やうやく見えし頬の瘠せ、思ふ事でもある事かと、春衛は妻が繊《ほそ》き手の、団扇いぢりをじつと見て。何とせし清子。この節は顔色も善からぬを、病気とは思はぬか。夏は格別、身体を大事に、早速医師に見せてはと、いはれて、はつと元気を見せ。ほほほこの痩せでござりまするか、これは私の生まれ性、夏はいつでも、今年なぞ、まだも肥えておりまする。夏痩せは、医師よりも、牛乳を、精出しておりますれば。秋にはたんと肥えますて、女子のあまり不恰好など、お笑はせ申しましよう。それよりもあなたこそ、この頃はお忙しい上のお忙しさを、お案じ申しておりまする。ははは乃公《おれ》か、乃公はそんな脆弱《ひよわ》い身体でない。いはばこれも道楽の、好きでする仕事に、疲れなんぞ出るものなら、とうに死んでゐる筈なり。まだまだ前途悠遠の、序開きといふ段で、がつくりとなる程なら、最初から政治なんぞに、嘴《くちばし》は出せないさ。やうやく政党内閣といつたところで幼稚なもの、まだ二回目の最初一度は竜頭蛇尾、藩閥に回収された跡引受け。誰も初役の、勝手は分らず、議論は多し。まだなかなか国利民福を増進するの機関として、遺憾なき活動を見るまでに至らぬは、知れ切つた事なれど。一旦挫折の運命に陥つた、政党内閣の信用を、回復するが刻下の急と、気の進まぬ舞台へ上がつても見たなれど。そなたは乃公が進退の軽々しきを遺憾とし、鬱ぎ出したといふ訳かなと。意外の辺より疑問を下すも。妻の心を一転せしめて、たちまちに憂鬱の原因を、看破らむものと思へるなり。清子は夫の心は知らねど、力《つと》めての語調はいつもの爽やかに。ほほほまおむつかしい、飛んだ事でござりまする。そんな事が分りまする私なら、あなた様の御苦労を、少しは分けて戴きましふに。政党内閣がどんなものやら、分らぬこの身の気楽さ
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