しやんの三味の音も、いつしか遠くなる耳の、熱さに堪えず。ばつたりと、身体を畳に横霞。春の山辺の遊びかや、ほの暖かき無何有《むがう》の郷。囀る小鳥、咲く花の、床しき薫り身にしめて。ふわりふわりと、風船に、乗つたは、いつぞ。あれ山が、海も見えるは舞子に似た。この松原の真中へ、降りたら水があるかしら。咽喉が乾くと、眼を醒ませば。身はいつしかに夜着の中、緑の絹に包まれたり。南無三、これは吾家《うち》じやない。たしかこの宵、おおそれよ。衆人《みな》はどうした、あちらにか。てうどこの間と立つ袖を。もうお遅いと引留むる、女子は誰じや、汝に頼む。跡はよいやう、乃公だけは、是非に帰せと、振り切りて。門を出れば、軒毎の、行燈は、ちらり、ほらり降る、雪か霰か、あら笑止。何はいづこと、方角が分らぬながら行き行けば、赤坂見附、おおここか。つまらぬ処で夜を更かした。車夫頼むと。寒さうに、かぢけた親爺がただ一人。やつこらまかせの梶棒を、どちらへ向けます。さうだなあ、ともかく九段へ遣つてくれ。とても遠くは走れまい。そこらから乗り替えやう。はて困つたと腕車の上。薄汚れし毛布《けつと》に、寒さは寒し、降る雪に、積もつてみ
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