を、お前が巧手《たくみ》に取込んで。お園を殺すと威赫《おど》させたら、お園が退かふといふのかえ』『もし奥様、お声が高うござりまする。お竹もどふやら帰つた様子。ここ四五日に埓明けずば、こちらが先に破れませう』と。悪の上塗、塗骨の、障子を開けて、こつそりと。庭から長屋へ、下がつて行く。悪事は千里、似た事は、まこと、ありしの噂となりて。明日は婢が口の端を。御門の外へ走りしなるべし。
第八回
はいお頼み申しやす。この家に、お園さんと仰しやる[#「仰しやる」は底本では「しや仰る」]がお出での筈。私は深井の旦那から頼まれて、内証の御用に参つたもの。御取次下されませと。心得顔におとのふを。太田の下女が、うつかりと。はいはいさうでござんすか。あすこにお出でなされますると。お園が住居の裏口を、教ゆるままに、しめたりと、跡を、ぴつしやり、さし覗く。障子の影に、お園が一人、もの思ひやら、うつむいた、外には誰も居ぬ様子。ちやうどよかつた、はいこれは、お久し振りでと入来る。顔を見るより、ぎよつとして、逃げむとするを、どつこいと、走り上がつて、袂を捉え『これお園さん、どうしたもの。この吉蔵を、いつまでも、悪玉とのみ思ふて居るのか。先づ落着いて聞くがよい。生命に拘はる一条でも、この己れからは、聞かぬ気かと。嘘と思へぬ血色に。お園も、もしや奥様の、お身の上ではあるまいかと。心ならずも坐に就くに。さこそと吉蔵微笑みて『甘くやつたぜ、お園さん。とうとう正直正銘の、お妾さんと成済ました、お前に位が付いたやら。何だか遠慮な気がする』と。そこら一順見廻はして『かう見たところが、見越の松に、黒板塀は、外搆え。中はがらりと、明き屋の隅に、小さうなつて、屈んでゐるは、旦那に合はせて、お麁末千万。お前もあまり気が利かぬ。これで生命を亡くしたら、冥途でたんと、釣銭が取れ、鬼めに、纒頭《てんとう》が、はづまれよ』と。空嘯《そらうそぶ》いて、冷笑ふ。顔を憎しと腹立ち声『何の御用か知りませぬが、用だけいふて貰ひましよ。お妾なぞと聞こえては、私の迷惑、旦那の外聞。ちとたしなんで下さんせ』と。いふに、ふふつと吹出して『その外聞なら、とうから、たんと、汚れてゐるのでおあいにく。この近所での噂は知らぬが、お邸の界隈では、専らの大評判。旦那の顔が汚れた代はり、お前は器量を上げてゐる。お園さんは腕者《たつしや》だと、行く先々の評判が、廻り廻つて、奥様の、耳へは、大きく聞こえてゐる。やれ孕んだの、辷つたと、どこから、噂が這入るやら。何でもそこらで、見たものが、あるとの手蔓を、手繰り寄せ。己れさへ知らぬ事までも、いつか知つての大腹立ち。己れは一度も供せぬと、いふても聞かぬ気の奥様。今日この頃では、全くの、気狂《きちが》ひを見るやうに、そつちも、ぐるじやと、大不興。知らぬが定なら、これから行つて、どこなりと探し当て、お園をこれで殺してと。まあさ、そんなに、真青な顔をせぬがよい。何の己れがその様な、無暗な事をするものか。生命が二ツあつたら格別、一ツしかない身体では、そこまでは乗込まぬ。小使銭に困つた時、ちよつくら、御機嫌とつたのが、今で思へばこの身の仇。飛んだ事まで頼まれて、迷惑は己れ一人。否といふたら、自分の手で、探し出しても、殺してみせると、いはぬばかりの見幕を、知つてはお前が気遣はしさ。まづはいはいと請合つたも、お前の了簡聞いた上、二度と邸へ帰らぬつもり。まづその事は擱《さしを》いて、奥様が頼んだ証拠これ見や』と。懐探つて取出すは、かねて見知りし、鹿子が懐刀。お園を威赫《おど》かす材料《たね》にと、鹿子を欺き、助三に、与へるものと偽つて、取出したるものぞとは、神ならぬ身の、お園は知らず。よもやと思へど、その事の、ないには限らぬ奥様の、気質はかねて知る上に。動かぬ証拠、もしひよつと。ても恐ろしの奥様と、身顫ひする顔。よいつけ目ぞと吉蔵が『何と違ひはなからふが。ところでお前はどうするつもり。さつぱり旦那と手を切らずば、ここで己れが見遁しても。どこぞで探し当てられて、執念深い奥様に、殺されるのは知れた事。それよりは、今の間に、逃げて助かる分別なら、及ばずながら、この己れが、引請けて世話しやう。憚りながら、かう見えても、仲間で兄いと立てられる、男一匹、何人前。梶棒とつては、気が利ねど、偶《てう》と半との、賽の目の、運が向いたら、一夜の隙に、お絹布《かいこ》着せて、奥様に、劣らぬ生活《くらし》させてみる。えお園さん、どうしたもの。沈黙《だま》つてゐるは死にたいか。それとも己れに依頼《たよ》つてみるか。了簡聞かふ』と詰掛くるに。さてはさうした下心。弱味を見せるところでないと。早速の思案、さりげなく『それはそれは、いつもながら、御深切は嬉しう受けておきまする。したが吉蔵さん、私がかうして、旦那のお世
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