話になりますも、事情《わけ》があつてといふではない。誓文奇麗な中なれど。かうしてここに居る限りは、疑はれても、詮方がない。この身に覚えのない事で、殺されるのは私の不運。覚悟は極めてゐまするほどに、いつなと殺して下さんせ。少しもお前は怨みませぬ。忠義を立てたが、よござんせう。よしない私をかばいだて、お前の身体を失策《しくじ》らせ、私は不義の名に墜ちる。それが何の互ひの利得。世には神様、仏様、それこそは、よう御存じ。どこぞで見ても下されやう。無理に死にともない代はり、生きたふも思ひませぬ。生命は、お前と奥様に、確かに預けておくほどに、御入用なら、いつなりと、受取りに来て下さんせ』と。動かぬ魂、坐つたまま、びくともせぬに、口あんぐり。どこまでしぶとい女子か知れぬ。さうと知りつつ、出て来たは、こつちの未練、馬鹿を見た。よしこの上は、そのつもりと、いふ顔色を顕はさず。わざと心を許さする、追従笑ひ、にやにやと『なるほどそれはよい覚悟、男の己も恥入つた。がお園さん、短気は損気といふ事を、お前も知つてゐやうから、ゆつくり思案するがよい。ここしばらくは、奥様に、在所《ありか》が知れぬといふておく。確かに己れが預つて、滅多な事はささぬから、思案を仕替えて見るがよい。惚れた弱味は、いつの日に、頼みまするといはれても、その事ならば否とはいはぬ。殺す役目は真平御免。いつかのお前の台辞《せりふ》じやないが、外を尋ねて下さんせか。あい……、いやこれはお邪魔をした。いづれその内聞きに来る。色よい返事を頼んだ』と。始めの威勢に引替えて、手持不沙汰に帰りゆく。跡見送つて、張詰めし、心のゆるみ、当惑を、誰に語らむよしもない、疑ひ受けるも無理ならねど。それにしても、あんまりな。この間から旦那のお越を、心で拝んでゐながらも、ここが大事な人の道。踏み違えてはなるまいと、わざとつれなう待遇して、お帰し申すは誰の為。旦那のお為は、奥様の、為ともなつてゐるものを。それ御存じはないにせよ。殺せとは何の事。無慈悲にも程がある。それを、おとりに、吉蔵が、またしても、いやらしい。憎いは憎いが、奥様が、なほの事で怨めしい。とてもの事なら、この後は、嘘を真実にした上で、あくまでものを思はせて、死んだら私も本望か。いやそれが、何の本望、本望が、外にあるので邪魔になる。この母さんは、なぜ私に、たとへ賤しう育つても、心は高う持てとの事、教へておいて下さんした。知らずばともかく、知りつつも、横道へは外れられまい。この一ツでは、私が負ける。あんな奥様勝たして置くが、どうでも私の道かいなと、袂を噛んで泣き沈む。背後の障子の、すらりと開くに。ゑゑまたしても物騒な。誰ぞと見れば、澄なり。嬉しや旦那の御越か。今日は万事を御意のまま、さうさへすれば敵が取れると。胸の痞《つか》えはおろしても、またさしかかる思ひの種子。かうした様に、こんな身が。おお怖わや、恐ろしや、もうもう重ねては思ふまいと。我と我が、心を叱つてうつむく顔『また何ぞ心配か。かうして乃公が出て来るが、気に障つての事なれば、詮方がないが、その外の、苦労は何なりいふがよい。一人で思ふは、身体の毒。乃公も大きに悟つたゆゑ、昨日からの飲み続け。今日は気分が好くなつた。そちにも、少し、裾分けの、品は、何であらふと思ふ。あてて見やれ』と。小《ささ》やかなる、箱取出して手に渡すを。どふやら指輪と受けかぬるに。わざと不興の舌打ちして『そちはそれゆゑ、誠に困る。同じ媼が育てても、乃公は仕入に出来て居る。そちばかりが時代では、乃公に対して不義理であろ。四角張つた挨拶は、もう止せ止せ』と取合はず『いつ来て見ても淋しいやうだが、これではなほさら気が塞がふ。それよりはこの家を、改めて借受けて、話し対手の下女でも置いたら、少しは気分が紛れて好からふ。しかしさうして気楽になれば、乃公がたびたび出て来るゆゑ、それもいやか』と顔見られ『何のまあ勿体ない。否か応かは、よう御存じ、申し訳は致しませねど。はいとお請《う》けの申されぬ、この身の程を弁《わきま》へましては、どうもかうして居られませぬ。御恩を仇に、こんな事、願ひまするは、恐れますれど。やはり似合つた、水仕の奉公、それが望みでござりまする。死にます筈の私が、かうして御恩に預りまするを、さぞ奥様のお腹立ち』と。いひかかるをば打消して『なにその事なら気遣ひすな。乃公もこれまで養父への、義理立てゆゑに、堪《こ》らえてゐたれど。もう堪らえるには及ばぬ一条。乃公が身体は自由になつた。一日二日のその内には、きつと処置を付ける筈。さうした上では、無妻の乃公、誰が何と怒らふぞ。来る正月には、大磯か、熱海へ、そちを連れて行く。奥と見られてよいだけの、支度を直ぐにして置きや』と。跡先ぽつと匂はする、微酔《ほろえい》機嫌も、その実は、いふにいはれ
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