れば。人の揃はぬその内から、お義理立には及ぶまい。ここといふのは、一時か、二時の間でござんせう。それを機会《しほ》に、横道へ、外れぬお心極まつたなら、六時過ぎから、御越と。時計の針も、何分の右と左を争ふて。もう行かねばと立上る、澄を止めて。もしあなた。ここが五分でござんすか。今からお眼が狂ふもの、乃公が時計は違《くる》ふたと、後のお詞聞かぬ為、私が合はしておきますると。ただ一分のその隙も、空《むだ》に過ごさぬ、竜頭巻。竜頭といふも恐ろしや、日高の川にその昔、蛇《おろち》となつたる清姫の、心もかうと。金色の、鱗に紛ふ、金鎖。くるくる帯に巻付けて。私の念力これこの通り、きつと覚えて、ござりませと。牙を包みし紅の唇噛んで、見送りし、その顔色の気味悪さ。ぞつと身にしむ夜嵐に。おお寒いぞと門を出し、その心地には引替えて。飲めよ、歌への大陽気。紳士揃ひも、学生の、昔に返る楽しさを。飽くまで遣つて退けやうと。星が丘とは洒落込まぬ、幹事の心、大盃で、汲めや人々、舞へ紅裙。紳士だなどと気取つた奴は、誰彼なしに肴にすると。洒落自慢の某が、浮かれ立つたるその所へ。思ひの外に遅なはりし、失敬したと入来る、澄を見るより、よい茶番と。思ひ付きの大声音。遅し遅し判官殿。何と心得てござる。今日は正五時と、先達からの案内でないか。それに今頃ぬけぬけと、どんな顔してござつたぞ。なるほど貴殿の奥方は、金満家の娘御といひ、少しも貴殿を、お踏付けになさらぬといふ貞女。あそこはあやかりもの、御来会も、遅なはる筈の事。奥方にばかりお義理立をなされるによつて。朋友《ともだち》の方は、お搆ひないじや。まだも、この中へ鼻垂らしう、これは奥が財産目録でござると、持つてござらぬだけが取り得か。総体貴殿の様な、内にばかり居る者を、蝸牛《ででむし》といふは、どうござらふ。あの蝸牛といふ虫は、どこへ行くにも、首だけちよつと出すばかり、家を背負つて歩行まするが、彼奴《あいつ》なかなか、気の利いた奴ではござらぬか。貴殿もこれからは、家の代はりに奥方をおぶつて、お歩行なされたら。天晴れ朋友への交誼も立ち、奥方へ報恩の道も、欠けぬと申すもの。一挙両全何とよい思案ではござらぬか。うわははははは、この師直《もろなほ》は、鮒侍などと、旧い摸型《かた》は行き申さぬ。当意即妙新案の、蝸牛《くわぎう》紳士は、どでござる。いざ改めて、今宵の肴に、紹
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