しましても、敷居を隔て、手をつかへてでなくては滅多に話などは致しませず、すべて父へのあしらい方が、お客様に接する様でありましたから、私は子供の時から、なぜよそのお父さんは、あんなに心易いのだらうと、よその父子《おやこ》の間柄を、不思議に思ひます位でありました。さように母は父に遠慮ばかり致しておりましたものですからこれにもまた大ひなる感化を受けまして、私はただ何かなしに、婦人の運命は憐れはかないものよとのみ思ひ込んでをりました。けれども、その頃既に幾分かどつかに承知の出来ぬところがありましたものと見へまして、時々は、どうも婦人の運命は誠につまらないが、どうか私は一生人に嫁がないで、気楽に過ごす事は出来ぬ事かと、思ふた事もありました。そう致して、十五六歳の頃でござりましたろふ、しきりに父母は私に結婚を勧めました。それは一度や二度の事ではなく、断つても断つても、不思議に、またかまたかと思ひますほど、ここはどうだ、かしこはどうだと申して、いろいろのさきを勧められました。けれども私はただいやでございますいやでございますの一点張りで、押し通してをりましたが、始めの内こそ、母も何分まだ年が参りませんから、も少し見合はせましても……と、父に申してくれましたが、十八といふ年の正月になつた時は、もうもう、母も、私の為に弁護の地位には立つてくれませんでした。そして父も、この時はもうそろそろ少し腹を立てまして、我儘なことをいふ奴じや、全体おまへの躾が悪いからッて、時々母にまで小言を申す様になりました。かくてある日の事でした、父は私をちよつとと、居間へ呼びますから、何の用かと行つて見ますれば、父は私の座につきますのをまちかねたといふ面持《おももち》にて、断然と結婚の事を申し渡しました。その時の私の驚き、実に思ひ出しても冷汗が出る位です。かねてよりかくのたまはば、こう、こうのたまはば、かくと、いひわけは、どれ程か思案も致してをりましたが、その時のやうに、かくすつかりと断定してこうしろと命令を下されんなどとは、思ひも寄りませんでした。ですから、ただ呆気《あつけ》にとられまして、ただソーツと、父の貌《かほ》を見上げましたが、父は嫌といふなら、いつてみよといはぬばかりの、意気込みでした。しかし母も脇に坐つてをりましたから、何とか申してくれることと信じて、心待ちに待つてをりましたが、母も父の権幕に恐れ
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