郎蔵の懐ろに巨額の上演料が転げ込んで来た。乃《そこ》で彼は忽《たちま》ち仲間の放浪芸術家たちを呼び寄せ、カフェからカフェへ居酒屋から居酒屋へ、久々で盛大なる「宴会」を催おし浩然の気を養った挙句、単独でモナコへ渡り、賭場《とば》モンテカルロですっからかんになると、突然日本に郷愁を感じたものか、再びもとの懐しい紡縷《ぼろ》を纏《まと》うて、孤影|瀟然《しょうぜん》として帰来したのである。
 かくて樹庵次郎蔵は、約一年間、フランシス・カルコばりの憂愁とチャアリイ・チャップリンばりの諧謔《かいぎゃく》を売りものにわが国のジャアナリズムに君臨していたが、天成の我儘な放浪癖は窮屈な文壇にも馴染まず、一時の名声も陽炎のようにたまゆらにして消え去って行った。
 私が訪れた夜は恰度《ちょうど》彼樹庵は、見すぼらしい衣を身に纏い、天蓋《てんがい》を被った蒼古な虚無僧《こむそう》のいでたちで、右手に一管の笛、懐ろにウィスキイを忍ばせつつ、さて境内へ喜捨でも乞いに行かんかなと云うところであった。
 三十分の後、樹庵と私とは往来は雑踏ではあったが比較的太鼓の音の響いて来ない、或る支那料理屋のがたがたテエブルに向
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