音が空低しとばかりに響き渡る、殷賑《いんしん》を極めた夜であった。
 樹庵次郎蔵、――無論仮名ではあるが、現在この名前を覚えている者は尠《すくな》い。が、“On a toujours le chagrin.”(「人にゃ苦労が絶えやせぬ」)――こう云う人を喰った題名の道化芝居《ピュルレスク》が一九三×年春のセイゾン、フランス一流のヴォドヴィル劇場O座によって上演せられ、偶然それが当って一年間ぶっ通しに打ち続けられたことのあるのを、読者は記憶しておられるかも知れぬ。この作者がわが樹庵次郎蔵であった。
 幼少時代から身寄り頼りのない生来の漂泊者樹庵は、その青年時代の大半をフランスで送った。皿洗い、コック、自動車運転の助手、職工、人夫、艶歌師、女衒《ぜげん》、などなど、これらの生業《なりわい》と共に社会の裏側に蠢《うご》めき続け、その時も尚パリの裏街、――貧しい詩人や絵描きや音楽家や、そしてそれらの中の埋もれたる逸材を発見して喰いものにしようとする飢えたる狼の如き、卑しい利得一点張りの本屋や画商やが朝から晩迄|犇《ひし》めき合う雑然たる長屋区域Q街の一隅の屋根裏の部屋にとぐろをまいていた頃、次
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