害させ、それを身動きもせず見物しているのだろう。そういえば部屋の模様もなんとなくへんだ。妙に古めかしい壁かけがさがっていたり、王朝ふうの蒼味をおびた椅子や花瓶がおいてあったりして、――などと、ばくぜんとこんなことを考えているうちに、自分がいま、いかにけんのんな状態にいるかに気がついた。こうしちゃあおられぬ。まごまごしているととんでもないとばっちりをくわねばならぬ。ながいは無用と腰をあげたとたん、部屋のすみからとつぜん男の陰気なバスがこういった。
「そうだ、もっとしめろ、もっともっと」
室内にはもうひとりの別人物がいたのだ。と同時に、それまでからくもささえられていたななめのドアが、身動きのために、かすかではあったが、――ことん……と音をたてて、五分以上もただしい位置にあいてしまった。しまったとばかり、ぴたりと息をころすと、それまでまばゆいくらいに煌々とかがやいていた電燈が、――ぱちいん……という暗示的なスウィッチの音とともに、まっくらになった。とりもなおさず、やつらはおれの隙見にかんづいたのだ。さあこまった、一刻もゆうよはしていられぬ。たんなる隙見だけでも、こういう家の風習として極端にいやがり、半ごろしにするくらいだから、おそるべき秘密をしられたやつらは、うむをいわせずおれの首にも魔手をのばしてくるに相違ない。よオし、くるならこいという身がまえで、しかし多分にびくつきながら、眼のまえのドアのひらかれるのを今か今かとまった。
だが、この家でこれ以上のさわぎをおこすことはやつらにとって不利だとでも思ったのか、しいんとしずまりかえって身動きのけはいすらきこえない。やつらも息をこらしているのだ。もはや天国にたびたったのか女のうめきもきえていた。にげればにげられるぞとかんづいたので、蟻ほどの音もたてぬよう全身をよつんばいに凝固させたまま、一進ごとに念をいれて廊下をはえずり、右手の部屋のドアをあけた。そこがおれの部屋だったのだ。気をつけてみると前後に階段があるので、右左が逆になっていたというわけなのだ。大急ぎでみじたくをととのえ、最初の階段をおりて出口へで、ネクタイもむすばずに戸外へとびでた。夜半はいまその高潮にたっしたのであろう、相変らず青水晶のような透明な月が魔窟のてっぺんにのぼって、きた時くらかった路地々々やはげおちた屋根々々をひるまのようにさえざえとてらしている。ああ、この妖街の一隅で、おれのあいかたがころされた、ころされるところをみてしまった、とこう思うと、ばかばかしいことだがぞオっとして、路地を足ばやにかけぬけ、こきざみに表の商店街のほうへはしっていった。
ところがどうしたことだろう、あながちにさっきの殺人事件と関係があるとは思えないのだが、客待ちのタクシーが一台もみあたらぬ。こうなったらあるいてかえるより道がない。あるいてかえったとて、おれの下宿まで二時間ばかりだからたかがしれているし、それに夜道はなれている。おれは頭のなかで、克明に道順をかんがえつつ、ねしずまった深夜の街衢《まち》をとことことあるきはじめた。ところどころでさびしい灯を鋪道にはわさせている立飲屋で、アタピンをひっかけちゃあ元気をつけてあるいてゆくうちに、さむさはさむいが風がないだけに歩行がらくで、ひととおり背後をふりかえってからせんこくの奇態な殺人事件を、もういちどかんがえてみた。
まず、なぜあのじごくがあの家でころされなければならないかという理由だ。不愛想で、陰気で、みようによってはなんとなく秘密ありげな女だったが、ふっと、ああいう特殊な社会の脱走者にたいする刑罰が、いかに苛酷をきわめたものであるかに思いあたった。なるほどあの女は、他国にいて、ああいう社会には適さぬ、いかにも脱走すらしかねまじい反逆的な女だ。柔順につとめあげるためには、やけならやけなりに、もっとほがらかでなくてはいけない。脱走がぜったいといってもいいほど不可能なあの社会で、こっちから手をくだしてあやめるというのは損得からいっていかにもあわないはなしだが、同業の女たちへのみせしめから、さきざきあまりかせげそうもない女をことさらねむらせてしまうというはなしはきいたことがある。
現場に、加害者のほかにふたりの男がいて、なにやら指図をしていたという点からも、こうかんがえられないことはない。たぶん、抱主か土地ゴロに相違あるまい。ああ、とんでもない女にかかわってしまったもんだと、すくなからず腐りつつ夜の街をあるいていった。
やがて、みおぼえのあるS河にかかるM橋のたもとに、やっとたどりつくことができた。ここまでくればもうだいじょぶだと、おれの足はいっそうはずんできた。
夜半の洋々たるS河のながめは思ったよりよかった。鏡のようにすみわたった大空にはいつあらわれたのか丘のような白雲がのろの
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