下水にむかってへどをはいているという始末……。かたい、こちこちの木煉瓦《もくれんが》の路地をあるくおれの靴音がこつんこつんとひびいて、その気配に売れのこりが、ちょいとちょいと、とよびかけるのだが、その声がまたぶきみなほど婬惨で、なさけないくらいの栄養不良[#「栄養不良」に傍点]ぶりだ。
そういう女たちを尻目にかけ、それとなく左右に眼をくばりながらあるいてゆくおれの足が、こつんとそれきり、ある小さな飲み屋ふうの家の戸口のところでとまってしまった。その家のまえにたってじっとおれの近づくのをまっている女が、なんと日本娘じゃないか。毛皮ではあったが、もはやところどころの抜けおちたみすぼらしい黒外套に、ふちのみじかい真赤な帽《ベレー》を真黒なふさふさした、眉のかくれるくらいまでにあふれた髪のうえにかるがるとのせて、両手をポケットに奥ぶかくいれ、足をかさねて入口のドアによりかかっているすがたが、青オい電燈の灯をあび、さそうような幽艷《ゆうえん》さをたたえていた。日本の女がよその国へきてこういう種類の女になるということにべつだん不思議はないし、センチメンタルになるほどおれも若くはないが、なにかのはずみで米のめしがくいたくなるように、産毛《うぶげ》のはえていない肉のしまった肌や黒い眼黒い髪がとつぜん恋しくなる時があるものだ。売れのこりだからいずれにしても美人じゃないし、日本人としてもとくに鼻もひくく眼もほそすぎ、どこにでもころがっている下らぬ女には相違ないのだが、おしろいけのない、一見しろうと[#「しろうと」に傍点]女にもみえる、そのみじまいの無雑作なところが、ちぢらし髪やどくどくしい口紅やいたずらに Actif な紅毛《こうもう》女のエキゾティシズムにはあきあきしている矢先とて、柄にもなく日本へのノスタルジアを感じさせたのだろう。おれは奇態なほどその女にひきつけられてしまった。おれはなかばこころに決めかけながら、しかし声のわるいのだけはごめんだから、はっきりしたわれわれの言葉で、はなしかけてみた。
「今夜はばかに不景気だな」
すると女は、にこりともせず、ただかさねていた脚をはずしすっくとたちなおるようにして、声だけはつくり声のいくぶんか訴えるような、かなしげな、そのくせ態度は淫売婦どくとくのふてぶてしい人をくった冷淡さをみせて、ささやくような日本語で応じた。
「あら、あんた
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