チたからだ。
さて、その翌日から、おれの新聞をみる眼が局限されてきた。「X娼家街売笑婦殺人事件」という大見出しが社会面のトップにとびでるのではないかと、まいにちの配達がまちどおしいくらいひそかに気づかっていたのだが、どうしたわけか一向に表ざたにならぬ。あんなどじな、しろうとのおれにすら隙見されるような仕事なのだから屍体の始末などもふてぎわで、おそらく発覚されなければフランスの警察制度のこけん[#「こけん」に傍点]にかかわるというわけだが、そうこうして、なんの発展もみずに半月ばかり日がたってしまった。するうちにこんな考えがうかんだ。つまり、ああいう場所のああいう殺人事件は、手口が大っぴらであまりにだいたんであるがゆえにかえって人目にふれず、暗々裡にかずをかさねているのではないか、あるいはまた、当局はすでにかぎつけていて、記事さしとめをめいじているのではないか、という疑いだ。ところが自分がよわみをもっているだけ、どうもあとの場合のほうが可能性がありそうに思われ、いまごろはあそびにんや田舎もんに変装した何十人という刑事が、四ほう八ぽうに暗躍しているのではないかと思うと、じつにむじゅんしたはなしだが、自分が真犯人のような錯覚をおこして、きょうはのがれたがあしたは捕まるといったふうに、一種の強迫観念にせめられるじゃないか。この気持はおれとおなじい状態におかれたものでないとわからぬかもしれぬ。なあに、でるとこへでて逐一事実を陳述すればそうむちゃな結果になるとは思えぬ、とみずからなぐさめるのだが、どっこい、この世のなかにはいろいろな逆がおこなわれている、悪党が善人づらで通用するし、けちな野郎が大きなつらのできる世のなかだ、無辜《むこ》の自分が真犯人にされちまうというくらいの逆は、かくべつめずらしいことではないかもしれぬ、とこう思うと、そこがそれ病気だね、無心で交番のまえがとおれない。そうこうして、病的にいらいらしているうち五日ばかりたって、とうとうおれのおそれている日がきた。
その日はおれがめずらしくはやおきをして、といってもかれこれひるちかかったが、朝昼けんたいのめしをくっている時だった、みしりみしりと階段の音がして留守番のばあやが、
「ムッシュウ・じゅあん、お客さんですよ」
といい、よちよち一枚の名刺を眼のまえにさしだした。みるとQ署の刑事だ。きたなっ、と思ったとた
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