キになって否定しましたが、不図《ふと》パセティックな調子となり、でも、沁々《しみじみ》考げえりゃあ他人事《ひとごと》じゃ御座んせん、と滾《こぼ》しました。並んで歩き乍らこんな会話を交わして居ると、知らない裡に遊廓の横門の前迄出て了いましたが、気付いて立ち止った時には私の心は其の男の案内に委《まか》せる可《べ》く決って居りました。承託を受けると男は忽然《こつぜん》欣喜雀躍《きんきじゃくやく》として、弱い灯を受けつつ車体を横《よこた》えて客待ちして居る陰気な一台の円タクを指先で呼び寄せました。嗟《ああ》、閣下よ、其の夜其の男の誘いに応じたが為に、其の行先の淫売宿で不可解な事実に遭遇し貞淑であった妻に疑惑の心を抱き始め、遂には彼女を撲殺しなければならない恐ろしい結果を導いて了ったので有ります。
男は運転手に行先を命じはしましたが、小声である為に私には聞き取れず、遠方かい、と訊きますと、いいえ、直ぐ其処です、と答える許りで、自動車は十二時過ぎの夜半の街衢《まち》を千束町の電車停留所を左に曲《カーヴ》し、合羽橋《かっぱばし》、菊屋橋《きくやばし》を過ぎて御徒町《おかちまち》に出で、更に三筋町
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