閣下は、私が其の女を最早や決定的に「妻」と認定して居る事を、若しや早計と批難なさるかも知れません。醜悪な妻が有りもしない衣裳を何処からか引き出して来、斑《まだ》らな髪を真点《まんまる》な丸髷に結い亭主の留守を見済ませて、密夫と逢曳を遂げるなどと云う事は、或いは不可能な又は奇蹟かも知れません。が、私は付け難い判別にさ迷うよりは、其の焦燥を捨てていっそ妻と決定して了った方が楽だったのであります。不時の闖入者《ちんにゅうしゃ》を見て二人は、はっと身を退けましたが、私はむらむらと湧き起る憎念の抑え難く、房枝っ、と叫び態、握って居たスティックを右手に振り上げ呆気にとられて茫然たる妻の真向眼がけて、力委せに打《ぶ》っ叩いたのであります。男は、何事か、私の無法を口の中で詰り乍ら、無手で私の体に打つかって来ましたが、私の右手は殆んど機械の如き正確さで第二の打撃を相手に加える事に成功しました。呀《あ》ッと面を押えて退《の》け反《ぞ》った時に、今度は妻の方が再びもぞもぞと起き上る気配なので、我を忘れて駈け寄るが早いか、体と云わず顔と云わず滅多矢鱈《めったやたら》に殴りつけました。寔にそれは忘我の陶酔境
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