けの淫売宿になど姿を現わす筈が無いと云う確信で有ります。妻房枝は、其の時刻ともなれば亭主の放蕩に女らしい愚痴《ぐち》を滾《こぼ》す事すら諦らめて了い、水仕事と育児労働と、――子供は生来の虚弱体質で絶えず腸カタルやら風邪に冒されて居て手の掛る事は並大抵で無く、更に内職の針仕事に骨の髄迄疲れ果ててぐらぐら高鼾《たかいびき》を掻いて前後不覚に寝入って居る筈であります。私は自分の莫迦らしい妄想を嘲笑《わら》い、何時の間にか眼の前で両手を確乎《しっかり》固めて居るので急いで其の拳を解き、ふう……と溜息を洩らしました。其の裡に室内の談合は旨く鳬《けり》が付いたものと見え、森《しん》と鎮まって居りました。女の事はどうしたんだろう。一つ催促でもして見ようか、と立ち上るなり悪く逆上して眼鏡が曇って居たので何心無く取り外し、二重廻しの袖でレンズを拭き始めた時に、私は再びはっと奇妙な一致に撃たれてふらふらと腰を落して了いました。室内のおふささんの懸けて居た淡褐色の金縁の日除眼鏡を反射的に思い泛べたからで、詰《つま》り、彼女の懸けて居る色眼鏡とそっくりの、而も金縁のそれを、私の学生時代新派役者や軟派のヨタモン
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