し得る筈が無く、尚更、房枝の水仕事にかさかさに成った両手を見るに及んで、動《やや》ともすれば私の疑惑は晴れかかるので有りました。此の醜い手が、あのなよなよした真白い指に変わり得る事は不可能と考えねばなりません。閣下は、奇妙な一夜の出来事を逐一妻に語り聞かせて率直に返事を聞き取り、疑いを晴らそうとしなかった私の不注意を詰《なじ》られる事で有りましょう。然し、私は私で、何としてもだに[#「だに」に傍点]の様にこびり付いた猜疑の心を払い切る事が出来ず、聊も此方の心を悟られない様注意を配り、其の油断を見済せてのっぴきならぬ確証を掴んだ上出来る丈の制裁を加えてやろうと深く企らむ所があったのであります。
 御推察通り、房枝の生活には何の変哲も見られませんでした。其処で私は第二段の予定行動として、当夜の敵娼《あいかた》の言を頼り、毎夜終演迄の三十分間を、――浅草の寿座の楽屋裏に身を潜める事に致しました。即ち、偶には妻の方から誘いに出張る事もあろうと推察し、逢曳の現行犯を捉える可く企らんだ訳であります。其の月の寿座には御承知のクリエータア・ダンデイ・フオリイズ・レヴュウ団が公演され、相当の観客を呼んで居りました。劇場正面に飾られた“CREATER DANDY FOLLIES”のネオンサインが浅草の人気を独占して居たかの様であります。房枝の情夫が女形であると言うのは寔《まこと》に解せない話であります。何故ならば此のレヴュウ団は、ドラマとしてよりもスペクタクルとしての絢爛華麗な効果を狙った見世物《ショウ》を上演する団体であって、美男俳優やギャッグ専門の喜劇役者を始めそれぞれ一流の歌姫や踊児などを多数専属せしめ、絶対に女形を必要とする様なレベルトアールは組まないからで有ります。其処で私は、女形と云うのをあの夜の女の思い違いであると断定し、大勢の男優達[#「男優達」に傍点]の中から、房枝の情夫と考えて最も可能性のある美男のジャズ・シンガア三村千代三《みむらちよぞう》を選び出しました。と云うのも、彼が最も柄の小さく平素一見して女形の如き服装をして居る点を考えたからであります。御承知の通り、寿座の楽屋口は隣接の曙館《あけぼのかん》の薄暗い塀に面して居りまして、斜《はす》かいに三好野《みよしの》の暖簾《のれん》が向い合いに垂れて居ります。或る晩は泥酔者を粧い曙館の塀に蹲《うずくま》ったり、或る晩
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