けたままでいられる御隠居さまが、ぴったりと、障子をたて切り、電灯も消されまして、薄明るい、まくら雪洞《ぼんぼり》にしつらえました、小さなあかりをつけていられるのみでございます。私は、飛び石をつたいながら、はて、不思議なこと、と思わず、立ちどまったことでございました。中には、たしかに御隠居さまがいられます。しかし、障子にうっすらと、さした影から考えますと、おひとりではございませぬ。誰か、も一人の方と、向い合って、じっと、していられるご様子でございます。私は、あまりにも、そのご様子に、常ならぬものを感じたのでございました。はしたないとも、無作法とも、そうしたことを考える余裕もございませぬ。音をたてぬよう、静かに、縁側に上がって、障子を細目にひらき、そっと中をのぞいたのでございます。と、雪洞のうす明るい、真白い光にてらされて、御隠居さまの、無言で、じっと、坐っていられる姿が見えたのでございます。前には、どなたが、……こう考えまして、ひとみをこらしました時、私は、われにもあらず、
「あっ……」
と、声を上げたのでごさいます。私の目にうつりました人影、それこそ、誰の姿でもございません。私ではございませんか。――まくら雪洞の、蒼白い、にぶい光の中に、じっと坐ったまま消えいりそうな女の姿、顔から、あたま、着ている着物、島原模様に染め上げた、絞縮緬の振袖と、白く細い手くびに見える絵羽模様の長襦袢それに、絞塩瀬の丸帯から、大きく結んだしごきまで、何からなにまで、わたくしに相違はございません。御隠居さまは、それが、ほんとの私とお考えになって話していられたのでございましょう。背を、つめたいものがさっと流れました。身体が、がたがたと、顫《ふる》えて参りまして、後から、大きな、まっくろな手が、私に襲いかかったように感じました。と、そのまま、私は、深い、ふかい谷底へ気がとおくなってしまったのでございました。
×
あれから、もう、まる一年、分限者《ぶんげんしゃ》の御隠居さまとは、表かんばん、よからぬ生業《なりわい》で、その日その日をお暮しになっていたとは言いながらも、私には親身のように、おつくし下さった御隠居さま、それに、あの、私と生き写しのお千代さま、いま頃は、どこでどうしていられますことやら。今にして思いますれば、お千代さまと『でぱあと』でお逢いいたしました時――もうあの時分、
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