時、舞台にうつ伏った、半四郎の傍で発見されたのでございました。――こうした理由で、私の長唄のお師匠が、この殺人事件の第一の被疑者になられたのでございますが、客観的に考えて見ますれば、それは、あまりにも、当然なことでございましょう。
師匠は、その筋の方に、次のように語っていられるのでございます。
|○|[#「|○|」は縦中横]
私が娘道成寺の際に折あしく、持病の癪を起し、出演いたしませんでしたこと、私の象牙の撥が、あの造りものの鐘の中にあったことを考えますれば、私が第一に嫌疑をうけるのは当然のことでございましょう。――しかし、私自身と、あの殺人事件との間に、どうした関係がございましょう。
私が、あの撥を、三味線箱から取り出しましたのは、娘道成寺の開幕に二十分あまり前でございました。私は、自分の癖――または、たしなみといたしまして、三味線や撥は決して、弟子の手にまかしはいたしません。この日も、自分の手で取り出し、糸の工合を調べた上で、撥を手に取りあげたのでございました。その瞬間に、癪が起ったのでございました。私は、撥と三味線をそこに、なげすてるように置きまして、
「新三郎、来ておくれ」
と、苦しい息の中から、となりの部屋におります私の一の弟子に、呼びかけたのでございます。――私の部屋には誰もいなかったのでございます。新三郎は、私の声に、すぐと、馳けつけてくれまして、
「師匠、それでは、医師を呼びますから、しばらく、ご辛抱下さい」
と、かけて出たのでございます。それから、後のことは、口にもつくせぬ痛みのために、何も記憶いたしてはおりません。いたみが去りました時には、もうすでに、娘道成寺の幕は上っておりまして、新三郎が、私の替りに、立三味線を弾いていたのでございます。私は、こう聞きますと、医師のとめるのも、振りきりまして、楽屋を出、舞台の横に佇んで、じっと、新三郎の三味線を見まもっていたのでございます――もちろんのこと、どうか、無事につとめてくれます様にと、祈っていたのでございます。私の、こうした行動に、疑いがかかっているようで御座います。しかし、自分の持場を、弟子が勤めていますのに、どうして、それを気にかけずにいることが出来るで御座いましょう。芸を生命に生きている私が、ああした場合に、足もとも定まらぬながらにもわざわざ舞台まで弟子の様子を見に行く――そうした事は、あまりにも、当然では御座いますまいか。
しかし、その時に、私が撥をもって行かなかったか、とのお訊ねに対しては、
「いいえ」
と申しますより、
「絶対に、持って参りません」
と申上げたいと存じます。三味線ひきの私にとって、三味線と撥とは、申すまでもなく、私の魂でございます。しかしお恥かしい話ではございますが、あの場合、私としたことが、すっかり、自分の魂を忘れていたのでございます――癪を起しまして、三味線と、手にした撥を、下においたなり、すっかり忘れていたのでございます。後ほどに、承りますれば、新三郎が、三味線と撥とを自分の部屋にもってかえり、床の間においていてくれたのだそうでございます。が、私は、もちろんのこと、そうした事情を知りませず、今も申しますように、三味線や撥のことは、少しも考えず、唯ただ、舞台で、私の替りに弾いている、新三郎の三味線が気になるままに、おとどめ下さる方々を、振り切るようにいたしまして、舞台上手の横まで出て参ったので御座いました。それから、あの事件が起りまして、幕が下りますまで、私は、じっと、一と処に佇んだままでございます。そうした私と、あの撥とに、どうした関係が御座いましょう。いま、一歩ゆずりまして、私があの時、自分の撥を手にしており、それで、半四郎師匠を傷つけたといたしますれば、あの撥を舞台の上手から投げつけている訳でございましょう。しかし、大入にも近い観客を前にして、どうして、その様なことが可能でございましょう。――また、どうとかした方法で、お客様がたの目を晦《くらま》すことが出来たといたしましても、投げつける時は、あの造りものの鐘が、半四郎師匠の白拍子に、かむさる瞬間にいたさねばなりますまい。そういたしますれば、私の投げた撥が、師匠にあたり、それが原因となって即死された――そして、その瞬間に、上から降りて来た、鐘が、白拍子の姿をかくしたといたしましても、死体は、白拍子の扮装のままでなくてはなりますまい。しかし、事実はそうでございませぬ。半四郎師匠は、変化の拵えを、おすましになったままで、俯伏さっていられたのでございます。そういたしますれば、少くとも、こうしたことが云えるでございましょう、即ち、半四郎師匠は、鐘の中に姿がかくれ、白拍子から変化の拵えに扮装されるまでの間は、あの造りものの鐘の中で生きていられた……
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