しております親爺の方にまで、色々なお尋ねがあったそうでございまして、次に記しますのがその陳述であったのだそうでございます。
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「あの、河原崎座の小屋は、御存じの通り猿若町《さるわかちょう》の表通りにございまして、裏は細い通りになっております。――つまり、猿若町の裏通と、夜ともなれば絃歌さんざめく囃子町《はやしちょう》の裏通とが、背を合している、人通も、あまりない程な、細い裏道なのでございます。この裏筋に面した側には、小屋の出入口が二つあるのでございまして、ひとつはお客さま用の非常口――しかし、これは、いつも、かたく閉されております。も一つの方が、楽屋への入口でございまして、このはいり[#「はいり」に傍点]口に、冬の寒い日であれば、火鉢におこした炭火で、また火をいたしながら、私が番をいたしているのでございます。……それは、一座の入れかわりました初日なぞ、はたして、この方が、こん度、お芝居をなされる役者の方であろうか――お囃子のご連中であろうか――と、首を傾げるようなことがございます。しかし、そこは、永年、こうした、入口の番人でお給金をいただいている私でございます。たとえ名の知れない田舎廻りの一座が、小屋にかかりました時でも、入口に現われたお方を見れば、この方は役者の方だ、お囃子方だ――それも、役者のかたであれば二枚目、三枚目、といったことまで、一と目で分るほどでございます。こうした訳でございますから、私が、あすこに頑張っておりました以上、一座の方以外には、誰も、小屋の中、または、楽屋の中へはいられた方は、決して、ある筈がございません。これは、私の白髪首にかけましても、きっぱりと、申上げることが出来るのでございます。あすこから、お這入りになりました方々の順序まで、私はよく憶《おぼ》えております。それ以外には、ほんに、猫の子一匹も通りませぬ。
あの入口をはいりますと、ちょうど、舞台の裏になるのでございまして、私のいるそばに、すぐと、二階へ通じる階段がございます。この梯子段を昇り切ると、ずっと、廊下になっておりまして、その両側に楽屋部屋が並んでいるのでございます。片側は小屋の表の方向にございますが、廊下をへだてた、その反対がわは、裏手にそっておりまして、窓からは、いまも申しました裏通を見下すようになっているのでございます。この方の側に、杵屋新次師匠と、
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