と。そういたしますれば、たとえ私が、あの場合に、自分の撥をもって、舞台の横に立っていたといたしましても、私に何が出来るでございましょう。――鐘が白拍子の上に降り、半四郎師匠が、変化の拵えをされた頃を見はからって、私が撥を投げたのでございましょうか。そして、その撥が、張子の鐘に破れ目もこさえず、飛んで入り、半四郎師匠を打ったのでございましょうか。

        |○|[#「|○|」は縦中横]

 師匠、杵屋新次さまの訊問は、これほどで終ったそうで御座いまして、次には師匠のかわりに、道成寺の立三味線をお弾きになりました、一のお弟子さま――杵屋新三郎さまが取調べをおうけになったのでございました。
        ×
「お師匠、杵屋新次さまの癪は、持病でございまして私でも、いま迄に、一度や二度のご介抱はいたしたことがございます。あの時には、師匠が申されていますように、最初、私をお呼びになったので御座いました。私は、師匠の、ただならぬ呼び声に、気も顛倒いたす思いで、お部屋にかけつけたのでございました。師匠は、三味線と撥を前に置いたまま、横腹をおさえて、とてもな、お苦しみで御座いました。私は、
『師匠、お医師《いしゃ》をお呼びいたしますから……』
 と、かように、申しまして、部屋を飛んで出、折よく、廊下で出会いました番頭の方に、
『恐れ入りますが、どうか、お医師を、お呼び下さいませ』
 と、簡単に、申しまして、師匠の様子を付け加えたのでございました。番頭さんは、
『承知いたしました。あなたは、師匠のご介抱をなさって下さいまし』
 と、云いすてて、廊下を走って行かれたのでございました。その時分には、騒ぎを聞きつけた仲間弟子や、一座の方々も師匠の部屋へかけつけて下さったのでございました。しかし、私は、そうした騒動の中にも、と、師匠の傍におかれている三味線と、撥に気を引かれたので御座います。もしも、誰かが躓《つまず》くようなことでもあれば、大変だ、三味線引きの魂とも、命とも考えられる、三味や撥に、傷がつくようなことがあれば、私は、こう、考えたのでございます。それで、三味線と撥を両手に取って、私の部屋へ持ち運んだので御座います。……確かに、いつも、師匠が使っていらっしゃる三味線と撥とに相違ございません。私の部屋の床の間に置くと、再び、師匠の部屋にとってかえしたので御座いました。


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