娘道成寺の開幕時間は、さしせまっておりました。医師の手当によりまして、師匠の癪も、いいあんばいに納ったようでございました。しかし、そうと申しましても、あと数分の後にさしせまった、所作事の舞台に出られる筈もございません。そうした訳で、私が師匠の替りに、立三味線を弾かせて頂くことになったので御座いました。
私が、自分の部屋を出ます時にも、師匠の三味線と撥は私が置いた通り、床の間に御座いました。しかし、この撥を、若し、誰かが、私の出た後で持ち去ったといたしますれば、それは、一座の方か、私たち、鳴物連中の中《うち》の誰かに相違ございますまい――それと申しますのも、私の部屋へ参ります迄には、幾つもの楽屋部屋の前を通りますので、見なれないお方でございますれば、すぐに、誰かが、胡散《うさん》くさい人が通る――という風に、注意し、後をもつけるでございましょうから。それに、あの、私の楽屋部屋は、外側が小屋の裏通りになってはおりますものの、窓が一つしか御座いませず、その窓には、人の頭もはいらないほどな棒頭がはまっておりますので、そうしたところから、外来の人が侵入しあの撥をもち去ったとも考えられないのでございます。しかし、いずれにもいたせ、新次師匠が申されておりますように、誰かが、あの撥で、白拍子に扮した半四郎さまを、鐘の中で襲うた、といたしましても、その方法はどう説明されるのでございましょうか。師匠が指摘されておりますように、舞台に降りている、造りものの鐘を傷つけないで、その中へ、ああしたものを投げ込む――こうしたことが、どうして可能でございましょう。ご存じになります様に、鐘の頂上には、七八寸ほどな丸さの空気ぬきがございます。しかし、それにいたしましても、舞台の横から投げた撥が、どうして、あの穴からはいり、内部の人を傷つけることが出来るでございましょう。――たとえ、舞台の天井から、その空気ぬきの穴をねらって投げこんだといたしましても、それでは、どうして、被害者の前額部に傷がつくでございましょう。それに、投げられた撥が、小屋いっぱいに溢れた見物衆の、誰の目にもとまらないというようなことがございましょうか」
|○|[#「|○|」は縦中横]
このお二方の次には、岩井半四郎の後見をお勤めになりました、一座の名見崎東三郎が、取調べをおうけになったのでございました。この
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