としてもやり方がない。そこで幕府を道具にして、自分の考えを世の中に行おうという腹なのです。それからまた、当時尊王攘夷論、これは幕臣のうちにも、諸大名の手を借りずに幕府自身攘夷を決行すれば、それでよろしいのである。そうすれば何も諸大名から騒がれるようなことはない。幕府の当局があまり因循姑息だから攘夷が出来ないのだ、と考えているものもありました。そういう機会でありましたから、清河は攘夷論をもって、幕府側に割り込んでゆこうとする。幕臣のうちにも、幕府に攘夷を決行させようという心持のある際でありますから、清河が割り込んできても、自分の考えと同じもののように思う者もあった。清河の内心は、それとは違っておるのでありますけれども、分量は少うございましたろうが、幕臣中にも多少清河に同情するものもなくはなかったのであります。
しかし清河は風雲児であります。意気の盛んな、功名心の高いものではありましたけれども、生きんがための勤王党、生きんがための佐幕党というようなものとは違っている。腹をよくするためなら、何でも食う、物食いのいい人間どもとは、一緒になりません。大変に策略を用いますから、清河の人格を疑うこ
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