いたので、腕前が揃っていたなんぞは、とんでもない話だ。大分向う見ずの奴等が多く集った、というならいいかもしれない。一二六頁に「彼等は皆一流一派に傑出した者共で」などとあるのは、全く恐れ入ったことと言わなければなりますまい。
 土方が大将になって清川を要撃する。ところが駕籠が間違っていて、中にいたのは、当時有数の剣客島田虎之助だから堪らない、皆斬りまくられてしまう。それはいいが、駕籠の中をめがけて刀を突っ込んでも、何の手応《てごたえ》もない。これは島田が「乗物の背後にヒタと背をつけて前を貫く刀に備へ、待てと土方の声がかゝつた時分には、既に刀の下げ緒は襷に綾どられ、愛刀志津三郎の目釘は湿されて居た。空を突かした刀の下から、同時にサツと居合の一太刀で、外に振りかぶつて待ち構へて居た彼の黒の一人の足を切つて飛んで出でたもの」で、外の者は全くそれに気がつかなかったようになっている。いくら名人の剣術遣いでも、そんなおかしなことが出来得べきものではない。
 一二八頁には「島田虎之助は剣禅一致の妙諦に参し得た人です」と書いている。こんなことは全く書かいでもと思う話なので、参禅してどうなったかというと、「五年の間一日も欠かす事なく、気息を調へ丹田《たんでん》を練り、遂に大事を畢了《ひつれう》しました」と書いてある。これでは参禅というのは、気息を調えて丹田を練る、そうして大事を畢了する、というふうに読める。座禅というものが、まるで岡田式みたいなものになってしまう。こんなことは書かずにおく方がいい。もし参禅というものを、そうしたものだと思う人があったら、それこそ大変な間違いを惹き起すことになる。
 一方ではどういう心持か知らないが、「上求菩提《じょうぐぼだい》、下化衆生《げけしゅじょう》」という心持で小説を拵えているとか称する作者が、こんなことを書いたのを改めようともしないでいるのは、そもそも何の心持があるのか、少年高科に登るということは不仕合せであると、李義山の『雑纂』の中に書いてある。一体作者は奥多摩に生れた、最も素性のいい少年であって、今日立派に成人して、世間でも評判される人になってからよりも、その少年時代というものに、よほど美しい話を持った人だ。いつにも三多摩からは人が出ていない。われわれの知っている人でも、結構な人だと思う人は、多くは故人になってしまわれて、今残っているのは例の尾崎咢堂翁と、それより若いところでは、大谷友右衛門に中里介山さん、ということになってしまった。作者の心がけというものは、決して悪くなかったんだが、少年高科に登ったのが不幸であるように、この『大菩薩峠』の評判がよかったのが、作者にとって幸いであったか、不幸であったか。私はその後も時折作者に会うが、会うたんびに作者はえらい人になっている。それは郷党のために、喜ぶべきことであるかないか、むしろ気の毒なような気もする。
 少年時代のいい話としては、学資を給与するから婿になれ、と富家から求められた時に、それでは学問をした効がないといって郤《しりぞ》けて、独学することにして、長いこと小学校の教員をしておった。こういう心持を持った若い人というものは、現代に求むるに難いところで、この一つの話だけでも、作者の人柄がよくわかると思う。しかるに好事魔多し、『隣人の友』という雑誌を拵えて、時々送ってくれるのを見ると、「大菩薩峠是非」という欄があって、毎号それに賛嘆文を麗々と掲げている。それを眺めて、惜しくない人であれば何でもないが、いかにも惜しい人であるだけに、忍びない心持もする。世間は人を育てて下さって、まことにありがたいものであるが、また人を損ねて下さるものも世間である。近来しきりに作者がいう「上求菩提」はよろしいとしても、「下化衆生」に至っては、作者などのいう文句にしては、少々重過ぎる。それが適当にいえる人が、世界に幾人いるだろうか。礼儀を超えてものを言う。殊に作者に対しては無礼であるかと思うことをも、遠慮なしに言うのは何のためであるか。作者に対する自分の心持と同様の心持の人は、けだし人間にも少いのではないかと思っている。
 余計な話になった。さて一三二頁に「互の気合が沸き返る、人は繚乱として飛ぶ」というのは何のことだろう。散りしく花の花びらででもあったら、繚乱もいいかもしれないが、実に困った言葉だ。この作者もしきりに「平青眼《ひらせいがん》」という言葉を使っているが、大衆作家はどうして揃いも揃って「正眼」を青くするのか。青眼という言葉の意味を、知らないのであろうか。
 それから島田虎之助に向った加藤主税、この両人が斬り合うところに、「鍔競合の形となりました」と書いてある。へぼくたな人間どもなら、かえって鍔競合なんていうこともあるかもしれないが、これは両人ともすぐれた剣客である。殊に
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