、彼はつと戸を閉じて閂《かんぬき》を下した。
『もう手が廻ったッ……やられたッ……』とジルベールは狼狽《あわ》てた。
『黙れッ!』とルパンが云った。
その時、ルパンは石像の様に突立っていた。その顔色は、悠然として全く平静に、その態度は泰然としてあらゆる事象の裡《うち》に形勢の機微を洞察せんとするもののごとく熟慮していた。これぞ彼のいわゆる「無念無想の妙諦」に入《い》る時であって、彼の真骨頭《しんこっとう》を発揮する瞬間であるのだ。身に迫る危険、擾乱《じょうらん》の渦《うずまき》の中に投ぜられた時、彼は静かに『一[#「『一」は底本では「一」]……二……三……四……五……六……』と数を読み初める。かくする事一二分、心臓の鼓動は鎮まって、無念無想の妙境に達する。この瞬間、彼が魔のごとき洞察力、彼が満身の勢力、彼が徹底せる熟慮と深瀾《しんらん》のごとき遠謀とが渾然として湧出して来る。しかしてその澄み切った心鏡に映るあらゆる形勢と現状とに対して、彼は論理的に考察し、確実に予見する事が出来るのであった。
三四十秒後悠然と落ち着き払った彼は、二人の部下を伴うて、向いの庭に面した窓の框《かまち》を
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