本家の支那を忠實に眞似て、其以外に出なかつたことが、能く分るのである。
第二は此書の價値ある點で、これは前に一寸述べた如く、隋唐志に著録されない書が、唯獨り此書に載つて居て、古典研究の上に非常な利益を與ふる一事である。早い談《ハナシ》が、昨年燉煌で發見された、古書の内に、老子西昇化胡經と云ふものがある。殘闕して二卷丈しかなく、全部若干卷だか分らない。見ると唐人の抄本たる事は慥であるが、新舊唐志にない。然るに此書では道家類の内に化胡經十卷[#「化胡經十卷」に傍点]とある。それで唐時代に此書のあつた事が分り、新舊唐志の挂漏を補ふ事が出來る。それから又唐に陸善經と云ふ學者があつた。誰も知つて居る通り、孟子に「爲[#二]長者[#一]折[#レ]枝」と云ふ言葉がある。後漢の趙岐はこれを解して「案摩折[#二]手節[#一]解[#二]罷枝[#一]」と云つて居る。つまり枝と云ふは、枝體の枝で、卑賤なものが尊長に對する務めであつて、其身體をなでさすりすることである。然るにこの人が始めて「折枝折[#二]草樹枝[#一]」と解したが([#ここから割り注]其説は孫※[#「爽」の二つの「爻」に変えて「百」、第3水準
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