と云ふも同じ事である([#ここから割り注]史學雜誌三十九卷、先師島田博士の『史學と目録學との關係』と題する論文を見よ。[#ここで割り注終わり])。
 さて前に述る如く、支那では劉向の別録其子※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略を始めとし、晉旬勗の中經新簿、宋王儉の四部書目録、及び七志、梁阮孝緒の七録、其他魏晉から隋までに出來た目録書と云ふものは實に夥い、さうして多くは當時學者の手に成つたものである。これは純粹な書目であるが、其外正史の内に、藝文志若しくは經籍志の名前で、其時代に現存した經籍を著録して居る。即ち前に擧げた七略を本として作つた漢書藝文志、それから隋書經籍志、舊唐書經籍志、新唐書藝文志と云ふ順序になつて來る。晉の袁山松が著した後漢書にも藝文志があつたらしいが([#ここから割り注]廣弘明集に收むる阮孝緒七録序に見ゆ。[#ここで割り注終わり])、けれども今は傳らぬ。又劉向父子及び荀、王、阮の書も傳らぬから、最古い目録書としては矢張漢志以下の四種より外にない。然るにこゝに邦人が編纂した支那書の目録がある。即ち日本國見在書目録であつて、編纂の時代は支那で唐昭宗の時代に當る
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